ケンケンの夢飛行

シッペイです。性別-男。特徴-食いしん坊。趣味-街めぐり、スポーツ観戦。誕生日1月20日。友達のジュビロ君。仕事は市やチームのPR☺

スイス・チューリッヒ〜ザンクト・ガーレン⑤

すぐ近くにボーデン湖が広がる。ボーデン湖はスイスでレマン湖に次ぐ二番目の大きさ。
ボーデン湖から西へ約10kmの山肌にスイス東部地区の中心をなす「ザンクト・ガーレン」がある。

街の誕生は7世紀に遡る。
アイルランド人の修道士、聖ガルスが修道院を建てたのが始まりと言われている。
聖ガルスの名前がそのまま街の名前になった。
1983年にザンクト・ガレン修道院として世界遺産に登録された。
最も古いベネディクト会の教会として大聖堂もある。
大聖堂はバロック建築の傑作と言われている。
黒い衣服を纒ったベネディクト会とは似つかない派手な装飾のバロック様式の内部。 
バロック建築を後世に伝える貴重な遺産である。


1767年に建てられた図書館(後世に伝えるべき大切な建物)入口には「魂の薬局」と書かれた表札が掲げてある。
図書館の内部は大聖堂と同じバロック様式で造られている。
大聖堂は石組みに対して図書館は木材が多く使われている為、落ち着いた雰囲気に包まれている。
蔵書は約17万冊、そのうちの2,200冊はグーテンベルクが発明した活版印刷が普及する前のもので、手で書き写されたもの。
そのうちの450冊程は1,000年以上前に出版されたもので8世紀の物まで有る。
修道院には図書館が付きもの。
修道院は学校でもあり、授業の為の場所でもあった。本がそこには必ず有った。
此処の特徴は修道院が出来た8世紀頃の書物の豊富さ!
書物は持ち出し禁止🈲で其のため遠くからも知識人がやって来てここの書物を読んだ。
其のため、ザンクト・ガーレンは文化の中心としても栄えた。

他にも蔵書がもっと多い修道院は有るが、8世紀頃の豊富な蔵書を1200年以上同じ場所で保存し続けているのはここだけ!
ケースに入っているのは、此処に伝わる一番古い手書きの写譜です。
西暦1,000年以上前に書かれたもの。
本の中には修道院のミサで謳われるラテン語の讃美歌が載っている。行の間にはネウマ譜と呼ばれる記号が書かれている。
ヨーロッパで音楽を記す為の一番古い方法がこの本で見られる。
現在の五線譜の元が誕生したのは15世紀と言われているので、このネウマ譜が此れよりも数百年前に書かれていた。
文字と行間に音の高さを表す記号が書かれています。
宗教史とともに音楽の歴史を紐解く為の貴重な資料である。

象牙で出来た表紙の本がある。
此処の修道士によって900年頃に作成された聖ガルスが描かれている初めての作品で、ガルスと熊🐻の伝説が描かれている。
森で熊に襲われたガルスが逆に熊を手懐けたと言う物語が描かれている。
特別なものとして本の目録があり、これは棚と棚の間の柱に組み込まれていて、年代別に分類されている。本が整理されていた昔の様子がわかる。目録から探している本を棚から出して横の窓の所の読書机で読む事が出来る。
明るい窓側に有る為、ローソク
は必要無かった。
中世の時代「教養の無い事は病」と考えられていて、知識となる宝庫の図書館は病を治す場所で薬が溢れる魂の場所と言われていた。



スイス・チューリッヒ〜サン・ガーレン④

リマト川はやがてライン川と繫る。全長1,233kmを6ヶ国に亘って流れる。


「ラインの滝」チューリッヒから北へ35kmほどの所にある。
この滝が誕生したのは今から一万年前、氷河によって岩が削られ落差23m幅150mの滝ができたと言われている。
水量は毎秒約70万L、ヨーロッパ最大の滝と言われている。
19世紀以降ラインの滝は水力発電に利用され、現在多くの工場の電力を支えている。




ボーデン湖の畔、国境の街「シュタイン・アム・ライン」人口は約3,000人、町は11世紀初頭、神聖ローマ帝国の皇帝ヘンリー2世によって開かれ、その後ライン川貿易の要として栄えた。
中世の面影を残す旧市街はその美しさからラインの宝石💎とも呼ばれている。
町の高台に当時の城が建っている。「ボーエンクリンゲン城」最初の建設は1191年、ライン川を行き交う貿易舟の監視塔として建てられた。15世紀末最後の城主となったウルリッヒ10世の死後は住む人も無く、市が管理している。市長によるとこの周辺での城では一番保存状態が良いのだと言う。
中世の雰囲気をそのまま残したレストラン🍴として営業している。
レストラン「ブルク・ホーエンクリンゲン」一番の人気はテラス席で高台から望むライン川の景色が良い事。




町の中央の広場の周囲の建物の壁にはフレスコ画が施されている。此れ等のフレスコ画はほとんどが19世紀後半に描かれた物
で家の住人が他の人の家とは違う事を見せる為に、こぞって立派なフレスコ画を描かせた。
町を彩る壁画の中で一番新しく綺麗に見えるのはホテル「アドラー」のもので、スイス人画家「アロイス・カリジェ」により1956年に描かれたもの。
描かれてから50年経った現在初めての修復作業となった。





スイス・チューリッヒ〜サン・ガーレン③

チューリッヒからリマト川の下流へ約25km、バーデンの街は15〜18世紀にかけて首都として繁栄した。
街の人口は約17,000人、ドイツ語で入浴を意味する「バーデン」の町はローマ時代からの温泉地であった。
その後、ハプスブルク家の拠点として栄え、1415年以降にスイス連邦の基盤となった8つの州の中心的役割を担っていた。



今も一日に100万リットルもの源泉が湧き出ていて温泉宿が軒を連ねる温泉街となっている。
気軽に入れる保養施設として(テルマルバーデン)、屋内と屋外に2つの温泉プールがある。
35度程度と温くしてあるが、源泉温度は47℃ある。
プールは水着を着用して入り、男女混浴。
最初に温泉を利用したのはローマ軍の兵士達であった。
軍事拠点を建設し同時に温泉施設も造った。


空中に浮いたような家の形をした「ホルツ橋」全長は39m、全体が木製の壁と屋根に覆われている。
元々は13世紀に橋脚の有る石の橋として造られたが、洪水のたびに破壊された事から1810年に木製の現在の橋に建て替えられた。車が通れる程頑丈に造られている。
13世紀には街への出入り口はこの橋しかなかったので、橋の袂には旧代官屋敷が残っている。
歴史博物館になっていて一般公開されている。
元々は橋への出入りを監視する見張り台であった。
14世紀にはスイス同盟から派遣された役人が住むようになり、通行税を取るようになった。
中世の生活用品がそのまま展示されている。



エアコンの交換

横浜の二階の寝室(今は私の居間)のエアコンが効かなくなったので、交換することにしました。使用頻度は非常に少なかったのですが、二十数年前に購入したものですから、仕方無いかな! と思い、又、私も横浜にずっと居る様になれば使用頻度も増えるでしょうから!
と言う事で購入を決めました。

2009年浜松フラワーパークに於けるモザイカルチャーの作品





ららぽーと磐田のノジマ電器で年式は問わず、部屋の大きさとのバランスも少しだけの考慮で「値段」重視で見当を付け、店員(女性)にも聞いて横浜に戻った。

戻ったその日の夕方に港南台ノジマ電器(高島屋店の中にある)で購入する運びとなった。
ノジマ商品の購入ポイントの関係で・・・・・・・
店員(此方は男性👨)とのやり取りで初めて判ったのですが、エアコンの電源の取口は分電盤(ブレーカー)から直結する必要があるとの事。大手家電量販店ではこの行政指導?!により現状あるコンセントから電源を繋ぐ事は出来ないので、配線工事が必要(当然、費用追加)と言われた事でした。



一旦、購入を辞めようかと思いましたが、いずれ買う時にはこの工事が必要になるだろうと思い、店員と話しを進めました。
部屋の広さは10畳相当で使用頻度に合わせた冷暖房効率の良さ等を考慮して、ダイキンの2022年度版新型としました。12畳でも大丈夫なタイプです。
ダイキンは他の家電メーカーの物と比べて高い部類に入ります。
ヤマダ電器はダイキンの商品を取り扱っていない!
数年前に交換した一階のリビング・ダイニングのエアコンもダイキンであった。此方は20畳以上の広さがあるので大型の物である。
此時はほぼ専属のリフォーム店を通して購入し、家を新築する時にも関係していた人がやっており、建物の構造を熟知している。
古いエアコンとの交換でもあったので、当時、電源の話は何も無かった。
又、今回の交換前のエアコンは通常のコンセントに電源を差し込んで大丈夫であった。
磐田の家のエアコンも一度私が居る時交換したのですが、今迄使っていたコンセントをそのまま使って大丈夫であった。
そのため、今回初めてブレーカーとの直結を知った次第です。
エアコンのタイプは決まったもののケーブルをどうやって引くか?
家屋の外周りを引き回すか?
室内を引き回すか?
屋根裏はできない(駄目)と言われた。
室内の方が家屋外周りより高くなると言われた。
室内は壁や天井、床、ドア等に穴や切り込みを入れて引く。
15mが基準で1m増える毎に1,000円
加算。
外周りにしたらとても15mでは間に合わない。
外周りは外観上も良くないのでやりたくなかったが電源を取らない事にはどうにもならないので、仕方無く外周りで決めた。




そして1週間前に工事の日となった。
施工業者はノジマの専属店であったが、1名でやってきた。
Mさんと言う人。
最初の面合わせで屋根裏を通せないか?相談してみた。
Mさん曰く、「私も屋根裏を通したらどうか?と言おうと思っていた」との事で嬉しかった。
外観を傷付けずに済む!
Mさんは私よりももっと慎重で部屋内のどこにも傷(壁や床、ドア、柱等)を付けず、コードを外に出さない様に引き回す方法を探った。
私もこれには感心したが、調べたりコードを引き回すのに私が手伝わなくては出来ない事であった。
私は2〜3日前から屋根裏に入って方法を考えていたので、手伝うのは全然抵抗は無く、寧ろ積極的に手伝うつもりであった。
2階の子供部屋Bや納戸のコンセント口を開け、電源コードを引っ張り、
私は一階の和室押入れ戸袋から天井裏に入り、乾電池の明かりにて引っ張って動くコードの位置確認を行なったり、位置確認が出来たら、実際の電源コードを差し込んで手が届かない所は専用の道具を使って引っ張り調整する。
二階天井裏へは子供部屋Bのロッカー戸棚より登る。
北側屋根には明かり取り天窓が二つ付いている。又、玄関ホール吹抜け部の天井にもアクリル板による蛍光灯も有って非常に明るく乾電池による明かりは不要です。両手が自由に使える。
大変なのはブレーカーの有る場所は一階のユーティリティ(洗面所)北東端で、エアコンを設置するのは二階の寝室の南西端。
つまり家の対角線でコードを引っ張り回す事になる。
線を引くだけで(調査含む)4時間半掛かった。
工事完了迄7時間であった。
Mさん曰く、「お客さんが手伝ってくれなかったらとても自分一人では出来ませんでした。」と言ってくれました。
最後に少し残念だったのは木造建築で壁と壁のスキマを利用してコードを引き、電源コンセント場所を利用しながら壁や天井に穴を開け無いでコードを引きたかったが、一部どうしても構造上手が届かない所に穴を開けなければそれが出来なかった事です。
それでブレーカーの所にコードを繋ぐのに壁に少しコードを這わせたのと洗面所の天井に穴を開けざるを得なかった。
結局、納戸を通る事はなかった。
私は全然大丈夫で納戸等目立たない部屋は壁にコードを這わせたり、天井や床に穴を開ける事は平気でしたが、Mさんはそれを嫌がって出来る限りの方法を探していました。

今後に就いて多いに参考になりました。





浜松モザイカルチャーの作品






磐田の家の処分

2009年浜松フラワーパークにて「モザイカルチャー」での作品群。

磐田の家・土地の処分の話が進行しています。
5月下旬頃から建物の解体・処分。
庭木の伐採、伐根、コンクリートの解体、ブロック塀の処分等が始まる予定になっています。
当然、諸々の費用がかかる訳で、解体費用とは別に処分費が発生します。
撤去処分費用をできるだけ安く抑えようと現在、屋内・物置きにあるあらゆる不要品?を整理中です。
そのため日常のゴミ出し日に最大限(磐田では特大45リットル袋を3袋迄)出しますが、出したい物や項目が間に合っていかないので、最終処分場迄車で出しに行きました。
先週?は4日間連続で午前、午後に項目で分けて行きましたー!
一つの処分場には一日2回迄です。
処分内容により焼却処分やリサイクル品は西の天竜川方向のクリーンセンター。
埋立ごみ、家電製品、鉄屑類の処分場は東の太田川方向にあります。
一回の処分費は1,000円前後です。
重量は0.5トン位迄は余り変わらない?ようです。
後部座席を倒し、助手席も使って運びました。
まだまだ残っていますので、5月の連休明けに行ってやらなくてはと思っています。
お墓じまいもして、遺骨もまだ磐田に置いてありますので、横浜の霊園の埋葬許可証と磐田市での改葬許可証を取って位牌と遺骨の運搬もしなくては!
池の金魚(20匹程)をある場所に放流してきました。
池の水をポンプで掻き出してからでないと網で捕まえる事は困難です。
湧水が流れていて大きな鯉も沢山(鑑賞用)います。
金魚も沢山いますので、安心して放流しました。






スイス・チューリッヒ②


リマト川河畔には最も古い「聖ペーター教会」があり1534年に造られたヨーロッパ最大の時計を持つ事で知られている。
文字盤の直径は8.7m長針は4m、短針は3mで、この時計塔は1911年迄火の見櫓としても使われていた。


聖ペーター教会と並ぶように青い尖塔が特徴の853年に建造された「聖母聖堂」が建っている。
もともとは女子修道院として建てられたが、その後12〜15世紀にかけてゴシック様式の教会に建て替えられた。
20世紀に入って大掛かりな改修工事が行なわれ壁にフレスコ画が描かれた。
1970年にマルク・シャガールのステンドグラスが嵌め込まれ、世界中に知れ渡るようになった。83歳の時の作品

リマト川を挟んで聖母聖堂の対岸に街を代表する2つの大きな搭を持つ「大聖堂」が建っている。



スイス国内で最大のロマネスク様式の教会として知られている。
現在の建物は11〜12世紀にかけて建てられたもの。
16世紀には宗教改革の主導者ウィングルンが説法を行い、スイス・ドイツ語圏のプロテスタント派の拠点となった場所。
2009年に制作されたステンドグラスは、透き通るほど薄く切られた「メノウ」を貼り合わせたもの。
シグマー・ポルケ作

スイス・「チューリッヒ〜ザンクト・ガーレン」

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スイス北部、約38万人が暮らすスイス最大の都市チューリッヒ
ヨーロッパを代表とする金融の街、及び国内最大の文化都市として発展してきた。
街の歴史はローマ時代に遡る。
ローマ人の駐屯地として造られたが、その後、フランク王国の城下町として、その後、神聖ローマ帝国ハプスブルク家の支配を経て14世紀、スイス連邦に加わった。
市内から南東へ細長く延びるチューリッヒ湖は幅3km.長さ40kmの三ヶ月形でスイス中央部の氷河を水源としている。
その水は永年、市民の生活用水として利用されてきた。
チューリッヒ市の生活用水の70%を支えている。市内には1,200以上の噴水がある。その多くは16世紀〜17世紀にかけて造られたもので水源はチューリッヒ湖や地下水を利用している。噴水は飲料水として使用出来るように上下処理されている。
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チューリッヒ発祥の地がリンデンホフ(ドイツ語で菩提樹の庭)で菩提樹が多く繁った小高い丘にある公園。
ローマ帝国時代、リマト川を行き交う舟から通行税をとる関所がこの丘に置かれていた。当時の言葉で関所を意味する「チュルクニ」からチューリッヒになったと言われている。
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