ケンケンの夢飛行

シッペイです。性別-男。特徴-食いしん坊。趣味-街めぐり、スポーツ観戦。誕生日1月20日。友達のジュビロ君。仕事は市やチームのPR☺

ヨーロッパ空中散歩(南フランス❹)

プロバンス特有の赤い瓦の屋根が見えてきました。

「グラース」です。

中世から皮細工が盛んだったグラース。16世紀「皮の匂い」を消す為に特別な手袋を売り出しました。

その事がきっかけで、この街は香水発祥の地とも成りました。

古びた煙突が建つ工場🏭

ここは香水工場です。此の工場の創業は1900年代初頭で、香水の素となる香料を作っています。これは地元で採れた「ジャスミン」の花。

此の街では千人に一人が香水の仕事に就いている。

丘に近づいた瞬間、豊かな香りを実感できます。

グラースにしかない香りです。高台に広がるジャスミン畑、シャネル等の世界で有名な企業等もこぞってここに工場を造り最高級の香水を作り続けています。

香水の香りを蒸気にして流す通りがある。

独自に調合した特殊な香水だけを扱っている店

世界中に幸せの香りを届けている街、グラースです。

 

 

高さ184mの岩山の上に教会⛪が在ります。その麓に広がるのは「カステラーヌ」

人口およそ1500人、1815年

地中海のエルバ島に幽閉されていたナポレオンはコート・ダ・ジュールの海岸に上陸、ナポレオンは400人余りの兵士を伴いパリに向います。川の右側のナポレオン街道と呼ばれている道を使って❢

現在はカンヌからグルノーブルまでの350kmをナポレオン街道と呼ばれています。

コート・ダ・ジュールの東の端に位置する「マントン」イタリアとの国境の街

太陽の街「マントン」漁業と温暖な気候を生かした柑橘栽培の盛んな所。

今では美しい海岸線も魅力の一つです。

 

モナコ大公によって建てられた「サン・ミッシェル教会」丘の上から海水浴客を見守っています。

海岸の城塞に「ジャン・コクトー美術館」が在ります。60歳を迎えた頃コクトーは、ここマントンで新たな創作活動を始めた。

美術館も造った。

入口を飾るのは彼の代表作でもある「モザイク画」地中海の波で揉まれた小石が使われている。

市庁舎の中にもコクトーの傑作が残されている。

「婚礼の間」年間60組ものカップルが式を挙げている。

マントンにはもう一つ見どころがあります。山の斜面に緑の畑が見えてきました。そこに実っているのはレモンです。フランスで生産されるレモンの半分以上が此のマントンで作られています。

レモンを扱う店が軒を連ねます。

レモンとハーブを混ぜたミネラルウォーターが人気

レモンを使ったレモンタルトが自慢だそうです。

店毎に味が違うそうです。

マントンのレモンは他と比べて酸味が少なく非常に甘味が強い。皮にはアロマオイルがタップリ含まれている。

コバルトブルーの海、鮮やかなグリーンの山あい、鳥になって大空を散歩すれば見えない世界が見えてくる。

ヨーロッパ空中散歩(南フランス🇫🇷➌)

再び空へ❢

見えてきたのは「ボーリュー・シュルメール

フランスで最も温暖な街として知られ「小さなアフリカ」と呼ばれている。又此の場所はフランスで不動産が一番高い街でもあります。

王族や旧貴族が別荘を構えている事でも知られる。

さて、王族といえば「モナコ」です。ニースから東に10km、そこは本物のセレブが競う高級リゾート地「モナコ公国」幅僅か3km程のスペースに色とりどりの瀟洒な高級アパートが建ち並んでいます。

ハリウッド女優「グレース・ケリー」が王妃となった事でも有名。

地中海に突き出た岩山の上は旧市街モナコ歴史発祥の地です。人々は親しみを込めて「ロシェ」(岩山)と呼んでいます。モナコといえば公道を使ってのF1グランプリ、毎年5月F1エンジンの音で賑わいます。

さて次は南フランスの田園風景を見に行きましょう。

オリーブ畑や果樹園に囲まれた「ルールマラン」ここもフランスの最も美しい村に選ばれています。

この村を愛した作家がいます。ノーベル賞作家の「アルベール・カミユ」です。

パリとの往復生活でしたが交通事故で亡くなります。

そしてカミユの墓が此の村に造られました。

村の端っこに城が在ります。15〜16世紀にかけて造られた「ルールマラン城」

ルネサンス様式の建物です。内部を見学出来るようになっています。

 

 

 

 

 

 

ヨーロッパ空中散歩(南フランス🇫🇷➋)

カンヌ・ニース

いよいよ、コート・ダ・ジュールの美しい街へと向かってみましょう。

やって来たのは「カンヌ」毎年、国際映画祭が開かれ世界中のセレブ達が集う事で知られています。

沢山のヨットやクルーザーが紺碧の海に浮かんでいます。

入江に造られた「アンティーブ」の街、ここは画家「ピカソ」が愛した街、海沿いに17世紀此の地域で勢力を誇っていた「グリマルディ家」の城塞グリマルディ城が在ります。ピカソはここをアトリエにして沢山の作品造りに没頭しました。

「アンティーブ・ピカソ美術館」その大半を市に寄付し、今はピカソ美術館になっている。

 

次にやって来たのは南フランス・コート・ダ・ジュールの中心地「ニース」の街です。

19世紀以降貴族達を虜にしてきたニース、今では世界中のセレブがこぞって訪れる高級リゾート地と成りました。オレンジ色の屋根とブルーの海のコントラストがとても綺麗な街並みです。

海辺の中程、赤茶色のドームを頂く重厚な建物が目を惹きます。1913年に開業した5つ星ホテル「ネグレスコ」です。

此の街の名物といえば花市場、何百種類もの花が目を楽しませてくれます。

此方は最も古い花屋さん、創業は1903年

ニースの代表的な花はカーネーションミモザ、ニースは特にカーネーションの本場です。地中海原産のカーネーション、19世紀イギリスの貴族達がカーネーションをイギリスに持ち帰ったところ、大評判となり以来、花市場はニースに欠かせない場所となった。

 

 

 

 

 

ヨーロッパ空中散歩(南フランス🇫🇷❶)

鷲の巣村とコート・ダ・ジュール

イタリアとの国境に近い南フランス、向こうに見えるのは地中海、先ずは山あいの空中散歩です。

地上からはなかなか気付かないけど、鳥になった気分で眺めて観ると、この山肌の切り立った光景の厳しさがよくわかる。

遠くに人間の住む民家が見えてきました。

近づいて見ましょう。

切り立った岩山に村が造られています。トゥレット・シュル・ルーです。

村の頂上にはマリー城を頂きベージュ色の壁に赤い色の瓦の屋根がまるで積み木細工のように肩を並べて寄せ合っています。

この姿は「鷲」の姿のように見える事から「鷲の巣村」と呼ばれています。

ローマ帝国が滅びた5世紀以降、異教徒からの襲撃を守る為や食料難等、農民達は

多くの苦難に耐えながら村を守りぬく為に山の頂きに城を築いたのだと言います。

こうした「鷲の巣村」がコート・ダ・ジュールには100余りも有るのだそうです。

村はやがて織り物産業で栄え、今でも織り物職人やデザイナーが沢山暮しています。

そんな「鷲の巣村」の一つ「サン・ポール・ドゥ・ヴァンス」

此の村は14世紀に造られた城壁が村を囲み中世の雰囲気を今でも色濃く残しています。豊かな光や色が溢れた美しい此の村にやって来た芸術家がいます。

「マルク・シャガール」です。村の外れにアトリエ兼住居を構え、ここに暮らしたそうです。

石畳が続く小さな村には16〜17世紀に造られた建物が建ち並んでいます。細い路地には現代アートの店や雑貨店等、今は観光地として賑わいますが街並みは中世の面影そのものです。

石灰岩の山の麓に連なるのは隣の「ヴァンス」の村です。旧市街は城壁でぐるりと囲まれ「壁」そのものが家になっています。

城壁の内側には静かな生活が営まれています。

さて、もう一山越えてみましょう。

断崖の上に街の姿が見えてきました。コート・ダ・ジュールプロバンスの間に位置する「グルドン」の村です。標高は何と760m、フランスの最も美しい村の一つに選ばれています。この村の歴史は古代ローマまで遡ります。村の名前はプロバンス語の「クルドンヌ」岩の絶壁の上にある要塞と言う意味だそうです。

ヴェルサイユ宮殿の庭園を造った人の設計だそうです。実はこの村、最近映画のロケ地として使われたそうです。その映画🎬🎥とは

レ・ミゼラブル

 

 

マルタ共和国❺

16世紀計画的に建設された首都ヴレッタ

勝利の女神教会は、此の地での最初の建築物(現首相官邸)騎士団の寄宿舎の一つ「オーベルジュ・ドウ・カスティーユ」

「ヴィットリーオーザの住宅街」ここに最初に入植した。

「ハジャー・イム神殿」

紀元前3,000年頃の建設物

マルタの島々30を越える石灰岩の巨石神殿が有り、そのうちの6か所が世界遺産になっている。

マルタの巨石神殿群

1980年と1992年、世界遺産に登録、大きな石は重さが20トン、その運搬方法や正確に積み上げる技術は未だに謎とされている。

最古の神殿はエジプトのピラミッドよりも1,000年以上前のものだと判明。

マルタは地中海文明発祥の地と言われている。

命の再生を表す渦巻き模様を彫った巨石、首が嵌め込み式になっている女性像等。紀元前3,600年頃に建設された「イムナイドラ神殿

」時代を追って増築された建物には進歩の跡が刻まれている。中でも重要だったのが、豊作の祈願をする建物跡、その為に祈りをする為の女神の像が沢山出土している。

古代人は紀元前2,000年頃に忽然と姿を消した。しかし、出土する遺跡群にはその跡が沢山残されている。

約400年前の農家に手を入れて納戸代わりにしている。農具やワインを置く場合、此の内はひんやりしている。

石灰岩は太陽の光に当たっても全く熱を持たない。

この自然の恵みを島の人々は何千年も利用してきた。

130年前の荷車

 

東海岸に広がる「マルサシュロック」歴史の古いマルタ最大の漁業の街、漁師達は魔除けとして船先に目👀が描かれたカラフルでユーモラスなルッツと呼ばれる舟に乗り、地中海での漁を続けている。

マルタの近海で採れるのは、ほとんどが小魚、しかし、その種類は驚く程豊富。一番の名物は蛸

蒸しオーブンで1時間、タップリと蒸し上げるのが秘訣。

ブルーグロット(青の洞門)

船乗り場からブルーグロットまで約40分、4か所の洞窟を巡る。

ブルーラグーン

マルタ島から6km離れた

ゴゾ島へ向かう。

紀元前3,600年頃に建てられたジュガンティーヤ神殿

世界遺産に登録された6つの遺産の内の一つです。

丘に建てられたのは「ヴィクトリア・チタデル」城塞

海賊が頻繁に出没する時代、島の人々は日没になると、この城内へ戻って暮らしてきた。

「セント・ミケーレ堡塁」

シレンディ湾」は島の南部に広がる。

シレンディビーチ

「フォンタナレース工房」

代表的な工芸品はレース編み

古い共同洗濯場の「キビーラ」洗濯場

たった一つの湧水から水源を採っている。

農産物の品評会、川の無い雨の少ないマルタで豊富な野菜や果物が採れるのは段々畑に特徴がある。

耕地は石灰岩の石垣で囲まれている。マルタの土の源は砂嵐の時に地中海を飛んで越えて来るサハラの砂。

この砂を雨や風で流さないようにしている。畑の土として守ってきた。

揚水風車

岩盤の隙間に溜まった僅かな地下水を汲み挙げて一旦貯水槽に入れ、必要最小限の水だけを作物に与える。

マルタは世界的な蜂蜜の生産地

エリザベス女王からの感謝状

4ヵ所の養蜂場が有り、ここでは600万匹の蜜蜂を飼っている。

荒地に根を張る「ワイルド・タイム」の蜂蜜を吸いに蜂が集まります。

マルタ共和国

いかがでしたか?

少しつまらなかったですかね❢

次は南フランス🇫🇷へと飛んでまいります。

 

マルタ共和国❹

バレッタのバス🚌ターミナルはさながらバスの博物館のよう。島のあちこちに昔ながらのバスが市民の足として行きかっている。

150年の歴史を持つ土産物屋で旅人の一番人気はバスグ。

バスの所有者はドライバー自身、自分好みに改造を施して愛情をそそぎ、そして個性を競っている。

このバスの車体は45年も前のもの持ち主がキャデラックのモデルをモチーフにした車を見せてくれました。

ドライバー達の憩いの場、名物はミルクティーとサンドウィッチ、美味いものはドライバーに聞け!❢

現役最古のボンネットバス、50年前に造られたボンネット。

城内の街イムジーナと郊外の街ラバト、ここは2000年を越えるマルタの古い都です。

「ラバト聖パウロ教会」

ラバトはマルタにおけるキリスト教の発祥の地、聖パウロ教会は其の歴史を伝えている。

西暦60年、キリスト教の伝導者達は地中海で嵐に見舞われ、ここマルタに到着。

ラバトの人達は彼等を手厚く持て成し、此の時の伝導者の一人がイエス使徒パウロ、教会の下に彼が潜んだ洞窟が残されている。

キリスト教が認められていなかった時代、パウロはここで熱心な布教に取り組み、その偉業を称え1990年先のローマ法王ヨハネパウロ二世も此の地で祈りを捧げている。

パウロの地下墓地

別れの儀式の「アガベテーブル」が当時のまま残されている。

ひたすら岩を刳り貫いて1,000人もの信者を埋葬した巨大な聖パウロの墓

100年以上も前に僅か17名で設立されたラバトのブラスバンドのクラブ。

今では海外でも講演を行い、数々の音楽賞も獲得したマルタきっての名門クラブとなった。

フェニキア人が城壁を築き、此の地を安全な場所を意味する「メリタ」と呼んだのが紀元前8世紀。イムジーナはマルタ発祥の地と言われている。

「ラバト守護聖人祭」祭りはブラスバンドの演奏から始まります。

守護聖人パウロの登場、人口39万人のほとんどがク信者と言われるマルタ共和国

古くから娯楽の少ない島国で夏の守護聖人祭は今も人々の最大の楽しみです。

地中海の中央、紺碧の海に剥き出しの断崖が続きます。マルタの島は悠久の時が育んだ石灰岩の塊です。

今も島の至る所で石の切出しが行われている。

石灰岩遺産」屋外博物館

先史時代の神殿造りを再現、石灰岩に残る貝の化石から島が昔、海の底だった事が判ります。

雨が少なく川の無いマルタでは、僅かな地下水が貴重な飲み水。

岩盤を掘り抜き、井戸を確保する事が街造りの原点であった。

 

 

 

 

マルタ共和国➌

中世、ペストの鎮静に一役買ったのが猫。マルタには猫が溢れています。元々、島に猫を持ち込んだのは船主。「ネズミ」から食料を守る為、猫は航海にも欠かせないものであった。

マルタ猫協会は病や傷を負った野良猫達の回復を助けるボランティア団体。

運営の費用や治療費、食料費は国が援助、猫の支援は島を挙げての取り組みです。

現在ここでは400匹の野良猫を預かっている。その数は日を追って増えるばかり。

マルタは世界一と言われる猫の過密地。

淡路島の半分程の国土に70万匹がいて、餌を巡る争いも大変です。しかし、その過酷な生存競争が驚くべき進化をもたらします。

マルタの弱い猫は自らの手で梳くって餌を食べるようになった。厳しい環境から生み出される知恵と工夫。

これは常に外敵の脅威に怯えた絶海の孤島で逞しく未来を切り開いてきたマルタの歴史を偲ばせるものです。

地中海の真ん中に浮かぶ城塞都市マルタの首都「ヴレッタ」ヴレッタ市街は1980年に世界遺産に登録。

海からの侵略に備え16世紀に建設されたこの街も、今や人気の観光地、メインストリートは世界中の旅人で賑わっています。

静けさにつつまれた裏通り、「守護聖人の像」至る所に聖人の像が飾られている。城塞都市ヴレッタはイスラム勢力に対するキリスト教の砦として築かれました。

「聖ヨハネ大聖堂」

オスマントルコを退けてヴレッタの街を造ったのが聖ヨハネ騎士団、この大聖堂は彼等の聖地です。

ヨーロッパの大貴族の子息で構成され、莫大な財力を誇った聖ヨハネ騎士団

天井には彼等の守護聖人ヨハネ」の生涯が華々しく描かれています。ヨハネはイエスに洗礼を施したキリスト教の父なる聖人です。

「内陣主祭壇」

大聖堂で一際目を引くのが色大理石の床、400枚を超える騎士の墓標にはそれぞれの功績や名前に加え、死をも怖れぬ勇者の証に敢えて「☠ドクロ」が描かれました。

聖ヨハネ騎士団の十字架(マルタ十字)」

騎士団はヨーロッパ8ヶ国が集まった多国籍軍

「オーベルニュ語族の礼拝堂」「アラゴン族の礼拝堂」大聖堂にはオーベルニュやアラゴン、イタリア、ドイツ等言語別に礼拝堂が設けられている。国籍に依らず騎士団長の選出は能力視。騎士団長レイモン・ペレロスの墓碑

ペレロスはアラゴン族が誇る勇士

生涯、結婚を許されなかった彼等が国籍を越えて慕ったのが甲冑を着た聖母像

「フィラモスの聖母礼拝堂」です。