地名の由来はネア・ポリス(新しい都市)、サンタ・ルチア港に上陸した古代ギリシア人達が紀元前7世紀に造った。
デッローヴォ城
ナポリの王宮、この王宮が造られた18世紀ナポリの人口は27万人に膨れ上がり、ヨーロッパ第2の都市として栄華を極めた。
ヌボーヴォ城
サン・フランチェスコ・ディ・パオラ聖堂
ローマ時代の劇場跡
1748年ヴェスビオ火山の噴火により埋れた町、ポンペイが発掘された。
サレルノ湾、アマルフィはイタリア屈指のリゾート地として知られる。中世の時代には繁栄を極めた海運国家であった。
サンタ・マリア。カプア・ベテーレ
アンフィテアトロは円形闘技場
剣闘士のマスク
礼拝堂
ヴェネベントに建てられた凱旋門
街道を整備したとラアイアヌス帝の名前が刻まれている。
ヴェネベントからアドリア海に抜ける道は2本の街道が建設された。
半島の中心を走るアッピア街道と海岸沿いを走るアッピア・トライアーナ街道です。
ローマ人は何故二本の道を造ったのか?
一つは自然災害に備えたもので、洪水や崖崩れによって使用できなくなった時に利用出来るようにした。
又、二本の道は一方を敵に封鎖された時にもう一方を利用し軍隊を窮地から救う為のものであった。
やがて街道は目に見えない城壁の役割を果たすようになり、ローマは帝国の為に闘った兵士達へ報奨として街道上の土地を与えた。
地方に移民したローマ兵が子孫を増やし、領土の隅々まで行き渡った。ローマ人の血は内戦や裏切りとは無縁の平和な大国を築いていった。