アッピア街道を行く❸
一方、個人の旅人は街道の途中で宿を取りながら、長旅を続けた。
ローマから160kmに位置するミントゥルノ(むしろ、ナポリに近い)はローマ時代の宿場の面影を残す町。ローマ時代に旅人が移動する距離はおよそ50km、宿場はその距離に合わせて造られた。
ローマ時代の四大物流品は小麦、オリーブ、ワイン、塩。
品物は貨幣と交換され、貨幣経済が行き渡った。物と人が行き交う道のお陰でローマ経済は飛躍的に発展していった。
遺跡から出て来た物の内、この銀製のコップはスペインの南端、カディスからローマに至るまでの宿場の名前と次の町までの距離がている。コップに刻まれているルートは長旅の様子を物語っている。
スペインからイベリア半島を北上し、ピレネー山脈を抜けアルプスを越えイタリア・ローマへ!
全長およそ2,750km長距離移動を支える為、宿場には様々な施設が造られた。
ミントゥルノの石柱は古代ローマのアーケードの跡と言われている。アーケードには旅に必要なもの全てが揃っていた。
宿屋はもちろん馬車の車輪を修理する店や馬の蹄鉄治しや馬の診察をする獣医の様な役をする人まで!
浴場で汗を流し、食堂で軽食を取って疲れを癒やした。
モザイク模様で自分の家を思い思いの絵で飾った。
街道の町々を結ぶ道路と共に必ず造られたのが水道橋であった。
水道橋が運ぶ水を最も必要としたのは宿場町の公共浴場であった。
又、公衆トイレも有り、常に水を流す水洗式であり衛生面でも配慮を保ち、伝染病を予防していた。
宿場町からアッピア街道を抜けると大理石の白い石畳が黒い火山灰で覆われた石となる。これはヴェスビオ火山から噴き出して運ばれたものである。
馬車の車輪の圧力や馬脚にも耐えるように火山岩が使われた。
街道を通ったのは軍隊だけではなく商人は食料や装飾品を運び、詩人や芸術家は旅をして新たな創作活動を行なった。