アッピア街道を行く❷
ローマは領土を拡大し、その土地を征服すると人々に市民権を与えた。
水道から出る清潔な水を使い、街道で繋がれた街には豊かな生活が保証された。
4世紀半ばに造られたローマ帝国の街道を示した地図は7mにも及び、毛細血管のように張り巡らされた各街道の総延長は15万kmにもなった。
最初に造られたのは、このアッピア街道であった。
アッピア街道はローマから南に向かって延び紀元前3世紀、財務官グラディウスの提言により端を発している。
元老院に対して軍隊を迅速に運ぶ為には道を整備する事だと訴えた。元老院達は彼を嘲笑ったが、それを支持したのは戦いから戻って来た将軍であった。
街道の幅は当時の戦車が通れるように4mに統一された。戦車を軍隊より速く進ませる為に道路の石は水平により正確に敷かなくてはならなかった。敷石が均衡に敷かれているか確かめる為にグラディウスはサンダルを脱ぎ自ら素足でこの上を歩いたと言われている。
街道建設の為の法律も作られた。
法によって定められたローマ街道。石畳からアスファルトに舗装
される迄のかっての街道を2000年間見つめ続ける石の塊が有ります。ローマ帝国時代に造られた道標マイルストーンです。およそ1.5km毎に置かれた。法律に従い街道沿いに造られた。
そこにはローマを起点として歴代皇帝の名前が刻まれた。
かつて人の往来すら無かった山あいに石畳を敷き詰めたアッピア街道は人や物が移動する高速道路のような役割を果たした。
ローマ帝国が最大のルートを獲得した時に皇帝ハドリアヌスはローマ帝国が大地に与えた最大の贈り物は街道に違い無い。と言ったそうだ。彼は21年間の在位期間中に12年間を領土の拡大に費やした。
皇帝の旅は日常生活の全てを運ぶ大規模なものであった。
宿泊用のテントはもちろん、箪笥、調理器具、食器や娯楽道具まで一切の物が運ばれた。
街道は巨大な旅行団がスムーズに移動出来るように常に整備されていた。