ケンケンの夢飛行

シッペイです。性別-男。特徴-食いしん坊。趣味-街めぐり、スポーツ観戦。誕生日1月20日。友達のジュビロ君。仕事は市やチームのPR☺

ロマンチック街道列車旅(南ドイツ)⑦

初版は2018年7月14日〜18日のNo.1〜No.4.8月3日、5日の
「その5」「その6」で海外旅行に参加した時の想い出でを記したものです。参考に!

今回は列車旅、欧州列車旅行等からの抜粋です。
ロマンチック街道のメインルートはヴィルツブルグを起点としてローテンブルク、ディンケルスビュール、ネルトリンゲン、アウグスブルク、フッセン、が一般的です。
約 350kmの道程でこの街道はローマ時代、既に存在し、当時は「琥珀の道」と呼ばれていた。バルト海で回収された琥珀はこの道を通って南に運ばれた。ロマンチック街道と命名されたのは戦後になってからの事。
我々が旅行で行った時は
フランクフルト、リュウデスハイム、ライン下り(ローレライの岩)、ザンクト・ゴアで下船、ハイデルベルク(ロマンチック街道から外れた学園都市)、マンハイム、ヴィルツブルク、ローテンブルク、フッセン(ノイシュヴァンシュタイン城)、リンダウ(ボーデン湖畔)、リヒテンシュタイン、インターラーケン、ジュネーブ、パリ、のルートであった。

では列車旅に出発しましょう。



 


まず、街道の起点となるヴィルツブルグですが、ここは紀元前1,000年頃にケルト人が砦を築いた時に始まったと言われている。その後8世紀半ばに司教舎が置かれ、交通の要衝として発展した。
現在は観光の中心都市として、又、フランケンワインの主要生産地として賑わっている。

マイン川の丘の辺りに建つヴィルツブルグのシンボルである
マリエンベルク要塞は旧市街のアルテ橋の向こうにそびえ立つ。当初はケルト人の要塞であったが、13世紀半ばに司教が此処に城を築いた。1719年迄歴代の司教が此処を住居としていた。
よって此処は同時に神聖ローマ帝国の要塞でもあった。
500年程の間、マリエンベルク要塞を居城としていた司教の中で、初めて街に下りて宮殿を造ったのがシェーンボルン司教である。ドイツで現存する城の中での豪華さでは1or2を争う程のものだと言われている。


あまり知られていないが、ヴィルツブルグにはシーボルト博物館が有る。
多くの人がシーボルトはオランダ人だと思っているが、彼はドイツ人で1796年に此処ヴィルツブルグで生まれた。1822年にオランダの東インド会社に医師として入社した。1823年にジャカルタから出島にやって来た。






フランケン地方の名物と言えば、フランケンワインで辛口のコクのあるワイン。独特の形をしたボトルに入っている。
ワイン醸造所ビュルガーシュピタール
特別貯蔵庫には100年以上前のワインが貯蔵されている。

マイン川の斜面にブドウ畑が広がる。南に面した斜面50度〜60度の傾斜がある。これはマイン川の開けた谷に面しているので冷たい空気が早く抜ける。ブドウ作りには最高の条件が揃っている。