「ブリンディシ」
ローマから600km街道の遥かな旅は終点に辿り着いた。
アドリア海を望む港町ブリンディシ、東方の文化とこの町を統治していたスペインの影響を強く受けた特徴に溢れた町。
「ローマの柱」アッピア街道の終点に建てられた支柱はローマの柱と呼ばれている。
首都ローマを出発した石畳の道は此処まで続いたのです。
アッピア街道は東方世界への扉を開きました。
宝石💎や香辛料等の新たな公益品がここブリンディシから首都ローマへと持ち込まれた。
13世紀になるのと、この港からは聖地奪還を目指す十字軍の兵士達が出港して行った。
古代ローマ帝国が切り拓いてきた街道は新たな歴史の舞台となっていきました。
ブリンディシ、此処はアッピア街道の終着駅、又、新たな出発点ともなっている。
アッピア街道がアドリア海に突き当たると、ローマ街道は海を越えギリシャや北アフリカへ向かうルートとなっていった。
2000年の歴史を伝えてきたこの町は、今でも定期船でキやトルコと繋がっている。
その船を迎えるのが2000年前に建てられた「ローマの柱」です。
ローマ帝国の広大な領土に張り巡らされた総延長15万kmの歴史はアッピア街道から始まりました。終点に建つこの柱はそのシンボルです。
頭上の装飾は現在外されて修復されていて、外されてから15年が経っている。古代ローマの時代から現在までアドリア海の海風を受けながら東方との交流を見守ってきた象徴は長い歴史から役目を終え、これからは博物館に移される。
アッピア街道を旅した商人はこんな言葉を残している。
「ブリンディシは商人の活気と人を癒やす美しい景色がある最高の町だ」
「全ての道はローマに通じる」
ローマ帝国は人がより良く生きる為に都市システムを完成させた。
街道と同時に造られた水道橋によって上下水道が帝国の隅々まで整備されて行き渡った。
これによって疫病の発生が収まり、大規模なインフラを国が担うという理念は古代ローマから今に続いています。
街には広場、劇場、公衆浴場、闘技場、学校が造られ、ローマ市民は皆豊かな生活を送りました。現在の都市生活の原型はここローマに有りました。
人類史上、例を見ないほど長く続いたローマの平和。それは全て一本の道から始まりました。
イタリアを旅した文豪ゲーテが残した言葉として
「ローマの歴史には人類の歴史が全てある」