父なる川「ライン川」歴史と今を巡る旅
コブレンツに到着しました。
コブレンツからはICEに乗り換えボンを目指します。
コブレンツからおよそ30分ボンに到着。
東西ドイツ統一前は西ドイツの首としてボンが有った。
1990年の東西ドイツ統一によりベルリンに首都は移転したが国家の中枢機能を担う機構がボンには残された。
市庁舎前のマルクト広場
ボンにはベートーヴェンの生家が有る。
ベートーヴェンはウイーンに活動の場を移す22歳までボンで暮らしていた。今は記念館として彼が使っていた道具等や楽器等が多く残されている。
ベートーヴェンは1770年12月16日頃生れ、3歳まで此の家に住んでいた。ボンでベートーヴェン一家が住んでいた家は此の一軒だけしか残っていない。此の家は1889年に博物館になりその歴史は100年以上になる。ボンの市民が私財を集め遺産を守る為に買い取り資料や作品を集めて一般の人々に公開された。彼はEUの国歌「歓喜の歌」を作曲した事や早くから自由、敬愛主義を唱えていた。
ボンを離れ次はケルンに向います。ボンからおよそ20分ケルンに到着しました。
1859年にライン川を横断する橋が完成すると共に開業したケルン駅、駅前にそびえる世界遺産ケルン大聖堂。北ヨーロッパ最大のゴシック様式の建築物です。1248年に一度火災で焼失したが再建された。高さ157m、奥行144m、幅86m、世界最大の黄金細工「東方三博士の聖棺」新約聖書に書かれた東方三博士の遺骨が納められている。
此の櫃は1164年にミラノからケルンに贈られたものでケルンをキリスト教の巡礼地として有名にした遺産です。
「市の守護聖人達の祭壇画」14世紀に活躍したフランドル派の影響を受けた画家シュテファン・ジヨコナーの作品で、此の祭壇画は三面画祭壇と呼ばれています。
(写真は開いた状態のもの)
ケルンからドイツ国境を離れ、最終目的地オランダのユトレヒトに向います。
列車はオランダ第四の都市ユトレヒトに到着です。
1843年に完成したユトレヒト駅はオランダ鉄道の中心駅で此処からオランダの全ての駅に移動が可能。ユトレヒトは16世紀後半の独立戦争ではオランダ独立の中心地であった。
スペインの新教徒ダウンズに対しオランダ北部7州が一致団結してオランダ建国のもととなったユトレヒト同盟が結ばれた事でも有名な街です。
街の旧市街、真中に見えるドム塔は1321年から1382年にかけて建てられた。塔にはチャペルが2つあり、その高さは112m、オランダ最古のゴシック様式の建物です。
ユトレヒトの何処からでも見える街の象徴。
街の運河はオランダでは珍しく路面から少し低い所を流れている。
運河沿いにはテーブルを並べたカフェが多く有る。その運河の中心となったのはライン川でした。
ライン川は全長1230kmからなり父なる川からの図り知れ無い恩恵を受け人々はこれからも生きて行きます。