ケンケンの夢飛行

シッペイです。性別-男。特徴-食いしん坊。趣味-街めぐり、スポーツ観戦。誕生日1月20日。友達のジュビロ君。仕事は市やチームのPR☺

トルコ・イスタンブール❶

東西文明の十字路トルコ

出発地はイスタンブール、ヨーロッパとアジアの架け橋と言われる、この街は地理的にも、文化的にも、その名に相応しい。地球上で唯一の場所、古くから軍事的に非常に重要な役割を果たし、幾多の権力交代の中で姿を変えながら生き続けてきた。

イスタンブールは北の黒海と南のマルマラ海を結ぶ長さ30kmのボスポラス海峡を挟んでヨーロッパ側とアジア側に別れる。幅は広い所で2.5km、狭い所では700メートル、そこでは往来にボスポラス橋が利用されている。

海峡の西に当たるヨーロッパ側は宮殿やイスラム寺院がある旧市街とビジネスの中心地、新市街に分かれ、そのふたつをこのガラタ橋が繫いでいる。

橋が架けられたのは1845年、当時は木製の橋でした。1912年に2代目の橋が完成。上下2階建てのハネ橋として、その美しさを誇っていた。しかし、市民によく利用されていたが、老朽化と火災によってその役割を終えた。

現在の橋は幅の広い新しいものとなった。その二階建ての姿からかつてのハネ橋の勇姿を偲ぶことができ、今もイスタンブールのシンボルとして人々に親しまれています。

橋の袂では名物の「鯖サンド」が売られている。

トプカプ宮殿

15世紀から19世紀にかけてのオスマン帝国時代、スルタンやその家来が生活し、帝国を統治した場所。

ネフメット二世の命によって着工、その後、様々なスルタンによって手が加えられ現在の姿になった。

スルタンの居城であり行政府としての役割を果たしていた

宮殿内には学校や病院、モスク等も有り、それ自体が街としての機能を持っていた。

強大な力と豊かな富を誇ったオスマン帝国の象徴、トプカプ宮殿

1985年世界遺産に登録されている。

八角形の塔を左右に配した送迎門、左翼の建て物がハーレム、

スルタンの多くの妻達、子供達が暮したのがハーレム。

イスタンブールオスマン帝国時代、一度も侵略される事も無かった為、今でも数多くの秘宝が略奪されること無く残っている。

宮殿の隣にそびえるのはアヤソフィアビザンチン建築の最高傑作と称されるこの建て物は西暦325年、コンスタンテヌッテの命によりアヤソフィアの元となる教会の建築が始められ、その後幾度もの改修を歴て完成した。

ローマ帝国が東西に分裂しイスタンブールコンスタンチノープルと呼ばれた時代、ギリシャ正教大本山として崇められていた。

コンスタンチノープルが陥落した1453年、スルタン、ネフメット二世により聖堂はイスラム寺院へと変えられてしまった。

内部を色どっていたモザイク画は漆喰で塗り潰されてしまったが、1931年アメリカ人の調査隊によりモザイク画が発掘され、ビザンチン時代の遺跡として再び脚光を浴びる事となった。歴史の流れに翻弄され、現在イスラム教とキリスト教が共存するアヤソフィアは1985年世界遺産に登録された。

トルコのイスラム寺院は丸天井のドームとミナーレと呼ばれる尖塔を持つのが特徴。

ミナーレの高さはスルタンの権力を象徴する。

トルコ語で屋根の有る市場「カパルシャルシ」と呼ばれるグランドバザール、元々は15世紀半ば、時の権力者、メフメッド二世により開かれた2つの市場が其の始まり。

工芸品やアクセサリーを扱うグランドバザールに対して食料や日用品等を扱う庶民的な市場がエジプシャンバザール。