ビニャーオ駅はアズレージョタイルで飾られています。元々、葡萄をポルトガルに持ち込んだのは11世紀のポルトガルに暮らしたフランス人、ポルトカリヤ伯爵だった。
ポルトワインはポルトの東約80kmからスペイン国境にかけてのドウロ川沿いにアウトドウロと呼ばれる地域に栽培された葡萄から造られる。
9月〜10月にかけてのみ採られた葡萄は樽に詰められて冬を越し、春にはラベイロと呼ばれる帆船でポルト迄運ばれた。
ビニャーオ近くのサブローサを訪れると市役所前に探検家マゼランの少年時代の像がある。其の像は幼い少年のマゼランが水辺に帆を浮べて遠くを見据えている姿になっている。
マゼランがリスボンに上京する15歳くらい迄暮らしていた家。
マゼランは世界一周の航海をする為の資金援助をポルトガル国王に申請したが断られ、あえなく、そこで援助を申し出たのがスペイン国王のカルロス一世だった。
世界一周を果たしたマゼランをポルトガル国王は心良く思わず、此処のサブローサに暮らす家族を弾圧した。フィリピンで命を落したマゼランはおそらく家族への弾圧を知らずして亡くなったと考えられる。
国王の命によってマゼラン家の紋章が削られた跡が今も残っている。
もう一つの村サウデルには村祭りがある。ポルトガル北東部の地方は敬虔なカトリックの信者が多く、昔からの伝統や文化を受け継ぐ風習が残されている。
夏になると、それぞれの神様を祀るロマイヤと呼ばれる祭りが各地でおこなわれる。村人だけでなく、その近隣の人々も着飾って加わり祭りを楽しむ。
ノサ・セニョーラ・ダ・サウデは健康を司る聖母で村人たちに厚く信仰されている。健康を司る聖母がこの村に出現したのが祭りの始まりと言われている。
山車の行列は祭りのメインイベント
8月の3日間におこなわれる、この祭りは山車に村の守護神を飾り村を練り歩くのが慣わし。
ビニャーオからポシーニヨに向います。
スペインとの国境近くにあるドウロ川の支流、コア川の丘陵に先史時代に画かれた壁画がある。ダム建設予定地だったこの土地に地質学者が調査に入った際この壁画が発見された為ダム建設は中止となった。
コア渓谷の先史時代の岩壁画
世界遺産と認定されたこの壁画群は有史以前の人間の存在を今日に伝えた貴重な資料となっている。
川の恩恵を受けて発達して来たポルトガルの人々の暮らし、これからもドウロ川はとうとうと流れて行く事でしょう。