今回はイタリア、青く煌めくアドリア海の旅。
最初は中世の大学都市「ボローニャ」です。
イタリア中部に位置する中世の大学都市が残るボローニャからサンマリノ共和国や歴史あるラベンナの街を訪ね、青く輝く美しきアドリア海岸沿いを南下し、アンコーナを目指す。
訪ねる街はボローニャ〜イモラ〜ラベンナ〜リミニ〜サンマリノ共和国〜べーザロ〜ウルビーノ〜アンコーナです。
エミリア・ロマーニャ州にあるボローニャはイタリア中部に位置し、人口38万人、ローマ時代に造られたエミリア街道の中程に位置し、沿道の中心都市として、又イタリアの中部と北部を繋ぐ交通の要衝として発展した。
ヨーロッパで最も古いボローニャ大学が11世紀に創設され文化、学問の中心になる一大都市となった。
12世紀自治都市が成立してからは商業、政治、文化が開花し輝かしい時代が訪れた。
それは中世〜ルネサンス〜現代へと受け継がれていった。
現在でも多くの博物館や芸術館、劇場を有するボローニャは生活の質が高いランク全国1位を獲得し文化の都市として知られている。
ボローニャの斜塔は街のシンボルとして12世紀より見続けてきた。
これは中世にイタリア半島が皇帝派と教皇派に二分したとき、派閥争いを塔の高さと砦で競い合った結果と言われている。嘗ては100本以上有ったと言う塔の中で皇帝派の貴族が権力を示す為に建てたと言われる。
高さ98mの「アシモッピの塔」と傾斜した「ガリセンダの塔」の二本が現在も残っている。
街の中心は「マッジョーレ広場」
広場には足元に4体の半身半漁の海の精を従え、手に鋤を持った海の神「ネプチューン」の噴水があり、右側にはボローニャの政治の中心、市庁舎がある。
各時代の建築様式が融合した建物の正面の入口には「聖母と幼子キリスト」の彫刻が飾られている。
エンツォ王宮殿は神聖ローマ帝国の皇帝フレデリック2世との戦いで勝利したボローニャが皇帝の息子エンツォを死ぬ迄の23年間幽閉していた場所。
14世紀に建設が開始されたゴシック様式の「サン・ペトロニオ聖堂」は内部の聖堂が完成しているだけで、今も未完成のままで広場に構えている。
ポデスタ館は神聖ローマ帝国が任命した長官の住まいとして使われていた。
しかし1164年ローマ皇帝フレデリック一世の命を受け任命された長官を追出し、ボローニャが自治都市として誕生した場所でもある。