ボローニャから20分、イモラ駅に到着。
イモラはカーレースの最高峰F−1のサーキット場があることでも知られている。
「エンツォ・エ・ディノ・フェラーリ・サーキット」
通称「イモラ・サーキット」はF−1サン・ マリノ・グランプリの開催地
音速の貴公子と呼ばれたブラジルの「アイルトン・セナ」が1995年5月1日のF−1グランプリでポールポジションを取ってスタートしたが7周目に高速のサンブレロコーナーでコンクリートの壁に激突して返らぬ人となった。「アイルトン・セナ」像が建てられ、今でも献花が絶えない。
イモラから少し足を延ばすと「モザイク技術の宝庫」と呼ばれる街「ラベンナ」がある。
ラベンナはローマ時代、東西に分裂したローマ帝国の西ローマ皇帝ホノディウスが都を移したことで街の基礎が創られた。
以後、「テオドラ王国」そして「ビザンチン帝国」の首都になった。
最後の帝王ディフィティニアヌスによってビザンチン文化が持ち込まれ、思想、芸術が開花した。
ラベンナに残る8つの初期キリスト教会は世界遺産に登録されている。
「サンタ・マリア・イン・ポルト聖堂」、「サン・ヴィターレ教会」はラベンナに残る初期キリスト教会の一つである。
西暦548年当時の司教の命を受けて建てられ8角形の聖堂、建物は初期イタリアの建築歴史上重要なモニュメントとされ、内部のモザイクは後世に広がる他の作品の先駆けとなった。
東洋の影響を色濃く受け継いでいる。
モザイクは聖書のエピソードやキリスト像の間に自然の景観や動物が程良く配置され、調和の取れた美しさは息を飲む程です。
「サンタポッリナーレ・ヌォーヴォ聖堂」は6世紀の初め、ゴート族の王「フェオドリック」の王宮の教会として建てられたもの。
内部左側には三賢王と22人の聖女達が聖母子に貢ぎ物を捧げる様が、右側には貢ぎ物を手にした26人の殉教者達が「フェオドリック王」の宮殿からキリストの下へと向かう様が精巧なモザイクで描かれている。
又、ラベンナの街を表したモザイクもあります。
「ガッラ・プラチーディアの廟」見渡す限り埋め尽くすモザイクは死に対して屈さない生命の素晴らしさを表している。
星が輝く濃紺の空が天井一面に広がり、見た者を瞬時に夜の世界へと誘います。
ラベンナは詩人「ダンテ」が終の棲家として選んだ街としても知られている。
街の中心にある「サン・フランチェスコ教会」の近くにダンテの墓がある。
故郷フィレンツェを追われ1318年にラベンナへとやって来たダンテは生涯をかけてここで「神曲」を完成させた。
列車の旅は続きます。
「リミニ」に着きました。
リミニはエミリア・ロマーニャ州の中心を走る、全長270kmのエミリア街道の終点。そしてローマへ通じるクラミニア街道を通過しアドリア海に面していることから、早くから商業が発展してきた。
初代ローマ皇帝アウグストゥスはここリミニに現在も残る数々の歴史的建造物を建てています。
アドリア海きってのリゾート地であるリミニは映画界の巨匠「フェデリコ・フェリーニ」監督の生まれ故郷でもある。
グランドホテル・リミニは1908年にオープンした老舗のホテルである。
2003年にオープンしたフェリーニ博物館は彼の姉が住んでいた家を改装して造られました。
次回はサン・マリノ共和国に向います。
お楽しみに!