ストラスフォード・アポン・エイボンから北へ約15km.中世の城「ウォリック城」この城の始まりは1,000年以上も前だと言われている。今でも最も中世を感じられる城として人気をはくしている。
16世紀、エリザベス一世のもと、スペインの無敵艦隊に勝利したイングランドは輝かしい黄金時代を迎える。彼女の力が衰えると世の中の秩序は急速に乱れてきた。
ハムレットやロミオとジュリエットの中には国の繁栄と荒廃、民衆に残る貧困、のし上がる為の迫力や裏切り、混乱の時代だからこそシェイクスピアの描いた深い感情が人々の心を強く捉えたのでしょう。
ストラスフォード・アポン・エイボンから徒歩で30分程、シェイクスピアはあしげくこの村に通ったと言われる。彼の妻になるアン・ハサウェイが暮らしていた家へ!
農家であったハサウェイ家、昔ながらの茅葺き屋根が美しいこの家では、当時の暮しぶりを垣間見ることが出来る。
読み書きもできない当時ではごく普通の女性であった。結婚当時シェイクスピアは18歳.アンは8才年上の26歳であった。二人は結婚するも結局はシェイクスピアはロンドンで暮らすことになる。その間もアンはこの町に残って二人の子供を育て、彼の親の面倒を見、ひたすらシェイクスピア家を支え続けた。主婦として優秀だったという以外残念ながらよく分かっていない。そもそも、シェイクスピアがロンドンに何故行ったのかもはっきりしていない。
歴史家に出来るのは僅かな記録と記録の間を繋いでみる事だけである。だからこそ想像力が掻き立てられるとも言えるが・・・・・
夏の夜の夢
「書を読んでも、話や歴史で聞いても、真実の恋というものは、決して都合よくいったことはないらしい」
解っているのはアンはシェイクスピアの生涯ただ一人の妻だった(普通、当たり前の事)という事だけである。
知られざる彼の人生ドラマがここにあったのかも知れない。!
18歳で結婚したシェイクスピアはアンとの間に3人の子供を授かります。
シェイクスピアがどんな気持ちで故郷を後にしたのか解らない。
しかし彼がこの町を出なければ、素晴らしい作品に出会う事も無かったかもしれないという事です。
ロンドンで脚本家として稼いだお金は故郷「ストラスフォード・アポン・エイボン」に投資し土地と家を買って生涯故郷で過したという事です。
シェイクスピアが生まれた時、洗礼を受けた教会でもある「ホーリー・トリニティ教会」に遺体は妻アン・ハサウェイと共に眠っている。
1616年4月23日.52歳
誕生日と同じ日に亡くなったと言われている。
アンは彼より7年後に亡くなっている。
ソネット集116番
に彼はこんな言葉を残している。
「愛は時の道化ではない。薔薇色の唇や頬は、やがて時の大鎌で刈り取られようとも。愛は移ろう時の中で変わるものではない」
「明日が来て、明日が去り、また明日が・・・・時は、こうして小刻みに忍び寄り、最後の一言まで飲み込んでしまう」
お気に召すまま
「人間世界は、全てが 舞台。男も女も役者に過ぎぬ。めいめい登場と退場を繰り返し、一人で幾役も勤めるのだ」
「恋人に会うときは、書物から離れるように心が軽く、恋人と別れるときは、登校するときのように心が重い」
「そもそも芝居は今も昔も、いわば自然に鏡を捧げ、善悪美醜、時代の本質を、有りの儘に見せるもの。度が過ぎては、本意に外れる」
得意の憎まれ口はどうした?
道化は?歌は?
皆を笑わせた冗談はどこへ行ったんだ?
もう自分の顔をからかうことさえ出来ないとは
さあ、姫たちの部屋へ行って教えてやれ、どんな厚化粧をしてもいずれはこんな顔になるとな