ケンケンの夢飛行

シッペイです。性別-男。特徴-食いしん坊。趣味-街めぐり、スポーツ観戦。誕生日1月20日。友達のジュビロ君。仕事は市やチームのPR☺

シェイクスピアの故郷を訪ねて!❶



劇作家、ウイリアムシェイクスピアの故郷はイギリスのロンドンから北へ約170kmの「ストラトフォード・アポン・エイボン」と言う町で「エイボン川の辺りの道」と言う意味だそうです。
シェイクスピアは18歳で8歳年上のアン・ハサウェイと結婚し二人の子供をもうけるも、彼は3人をストラトフォード・アポン・エイボンに残し、ロンドンへと旅立って行った。
解っているのは、アンはシェイクスピアの生涯ただ一人の妻だったということだけである!
そうです。
ストラトフォード・アポン・エイボン


ロンドン、テムズ川の畔に1997年400年の時を経て、ある劇場が復元された。「グローブ座」です。16〜17世紀にかけてロンドンで人気を博した劇場です。
関心を寄せる人が多い理由はウイリアムシェイクスピアが劇作家であり、彼が残した作品は今も世界中で演じられている。
グローブ座は彼の作品の数々が初演された場所だったからです。
当時の造りを再現した木造3階建て、照明の無い時代、演劇は日の光を利用して行われた。
多い時には3,000人もの観客が集まったと言われている。
多くの人々が集まるロンドンは彼がいち早く時代の流れを反映した当時の社会を敏感に感じ取り、その内容を書き上げていたから上流階級や一般の人々にも受けたのである。
ロンドン


シェイクスピアはロンドンで成功を収めた後、再び故郷のストラトフォード・アポン・エイボンへ戻って来た。
ここには世界中から年間50万人もの観光客が訪れて来る。
街中にもシェイクスピアが溢れている。

シェイクスピアの生家

1564年4月長男として生まれた。父親は革手袋の商人として一代で代を成した野心家であった。町の政治にも熱心に係わり、町長に選ばれた事もあった。
幼いシェイクスピアはお金に不自由無く恵まれた環境で育った。シェイクスピアが通ったと言う学校も残されている。当時のグラマースクール「キングエドワードⅥ世校」15世紀に建てられた歴史ある建物は現在も教室の一つとして使われている。
当時の教育としては非常にレベルの高いものでラテン語から旧約聖書の翻訳、朗読文の書き方等、此処で受けた基礎が作品作りに生かされた事は想像に堅くない。
父の事業が失敗し生活はどん底に落とされ、シェイクスピアも授業を受ける事を諦めた。
成功と失敗、富と貧困は彼の作品に深みを与えることになった。街中で出会えるシェイクスピアの作品の登場人物達、人生を舞台に擬えたシェイクスピア
バン・クロフトガーデンには彼の銅像がある。
彼の銅像の周りには哲学、歴史、悲劇、コメディを象徴する登場人物の像が配置されている。





哲学では「生きるべきか死ぬべきか?」で知られるハムレット
マクベスに登場するマクベス 夫人、彼は人間のあらゆる生き様を舞台の中に描くことで人生の意味を問い続けた。
中世の暗黒部分に関わったちょっと変わった博物館
「フォルスタッフ・エクスペリエンス」16世紀前後、チューダー朝時代のイングランドの雰囲気が再現されている。
ペストの流行、飢餓、民衆は常に死💀への恐怖や不安に苛まれていた。そのため、人々は占星術や魔術に頼った。不安な世の中からの救いを求めた。
マクベスには魔女、テンペストには魔術師、夏の夜の夢には妖精、シェイクスピア作品にもこれらは欠かせない要素として描かれている。