午後は万里の長城の見物です。
映像ではよく見ますが、実際にはどんな感じか興味が有りました。
歴史的には北方民族からの脅威に対する防御の壁の認識です。
よってかなり北方側、モンゴル方面での建設と思っていましたが、以外や北京から北東及び北側に70~80km位の位置にまだ沢山遺跡として残っているのが驚きでした。
近くにあることが驚き👀‼️
東京から見たら南西なら藤沢、茅ヶ崎辺りに建設されていた訳で、北方民族からの脅威が身近だったのがわかります。
一方、シルクロード領域では敦煌近くに建設されたのが残っているようですが、その規模は北京近郊のものとは全然違うようです。
万里の長城は、2500年前に、周が匈奴の侵入を防ぐため城壁を建造したのが始まりとされています。
紀元前221年、中国を統一した秦の始皇帝が、30万の工兵と農奴数百万人を駆り立てて、北方の燕等の長城を連結するとともに、西方にも延長した。
東は勃海に臨む河北省の山海関から、西は甘ねい省の嘉峪関まで、総延長6350kmにも及ぶ。
初期の長城は土を突き固めた比較的簡単なもので、いわば土塁の連続に過ぎず、風化され朽ち果てているものも多い。
歴代王朝で最も長い長城を築いたのは前漢。
一方、明朝代の後期になって改めて築かれた長城は、大ぶりの煉瓦で表層を覆い、修復を繰り返したため最も堅固な部分が断続的に現存している。
長城建築の歴史としては、起源は、春秋時代に遡り、地域ごとに適した築上方法が取られた。
平原に造営する場合は、両側に板塀を立てて土を入れて杵で突き固める版築工法が用いられた。
山間部では、近隣の山から石を調達して積み上げられた。壁面を煉瓦で固めるようになったのは、明代からで、元の蒙古軍に備える為といわれる。
我々が連れて行かれた所は一番人気がある「これぞ万里の長城」といった「八達嶺」でした。
八達嶺は6世紀に創建された。
北京市内より北方約70kmの延慶県にある。
燕山山脈の要衝、都軍山に築かれた長城で、北京近郊で最も早く修復された。
明代には大改築が行われ、帝都を守る北の関所となった。八達という名は「四通八達」から取られ、交通の要所を意味している。
駐車場から上まで「歩いて行く⁉️」「🐪駱駝で行く⁉️」「ロープウェイで行く⁉️」
八達嶺近くになると街道沿いには関所のような遺跡が各所でみられます。
バスの車窓から