これは20年くらい前の大雪が降った時の写真です🍀
今日の予報は午前中から雨から雪に変わり鎌倉辺りでも2~3cmほど積もり、3時~4時頃には止む。のはずでした。
朝から寒く、小雨が降ったり止んだりで暖房はつけたままでした。
雪になって降りだしたのは夕方4時になってからでした。
うっすら積もっただけでした。
大雪になって積もったら明日の雪かきが大変だなぁー⤵️と思っていましたが😅
こんなもんしか積もりませんでした❗
これは20年くらい前の大雪が降った時の写真です🍀
今日の予報は午前中から雨から雪に変わり鎌倉辺りでも2~3cmほど積もり、3時~4時頃には止む。のはずでした。
朝から寒く、小雨が降ったり止んだりで暖房はつけたままでした。
雪になって降りだしたのは夕方4時になってからでした。
うっすら積もっただけでした。
大雪になって積もったら明日の雪かきが大変だなぁー⤵️と思っていましたが😅
こんなもんしか積もりませんでした❗
風が強い‼️
日本は南北に長く、各地それぞれで天気、天候が違います。
何処が一番住みやすいか⁉️
住めば都でそこに生まれ、育った人はそこが一番住みやすい所でしょう。
都会へ出て就職して、住居を構えても「高校野球」「サッカークラブ」の応援は生まれ故郷の地域になるでしょう✨
我々、雪が珍しい地域では、冬の雪、1日、2日は遊ぶのに良いかもしれないが、何日も雪に閉ざされれば何も出来ず退屈であろう‼
今では、スキー🎿やスノボーなど冬のスポーツがあるけど、昔は炬燵でお茶🍵を飲み、沢庵を食べ、将棋などをしているしかなかった時代(テレビ📺も無い時代)は血圧は高くなり、脳卒中等で倒れる人も多かったのでしょう⁉️
南の方では雨☔が多く、台風の直撃が頻繁にあり、これまた心配の種であろう❗
それでも、住めば都なのであり、そこで暮らしていかざるを得ない人がほとんどであろう。
ほぼ真ん中の「静岡県」は暖かく住みやすい所と言っても良いかもしれません❗
静岡県でも西から東まで広く、家康が選んだ「駿府」が気候的には一番だと思います。
夏は涼しく、冬は暖かいです。(最高気温や最低気温)風も弱い?ようで❗
県庁の所在地としても最適でしょう。
我が古里、遠州地方は冬、晴れ☀️の日は多いものの、風が強いのが難点かな⁉️
テニスをやりたいのだが、風でサーブトスは流れるし、打っても横に流れて、入る場合とアウトする場合、相手も同じだから勝敗はどちらも同じか🎵
思ったようにいかず苛立ちます。
さて、それはそれ。スポーツ出来るだけでも幸せです🍀
もう、2月に入りました。早いものです❗
仲間がゲームに熱中している間に周りの山々、空を見渡すと空気も含め「春」の気配が感じられて来ます。
杉の花粉?花芽が赤茶色に染まり、雑木のあちこちに白く薄いピンクの木の芽が芽吹いているのが見てとれるようになってきました。
春はもうすぐですね❗
でも、遠州地方の空っ風は4月いっぱいまで?吹き荒れます。
早いもので2月10日になれば、母が急逝して一年になります。
『光陰矢の如し』でこの一年はあっという間でした。
この前、家内と二人で「初盆」を執り行ったばかりだと感じていたのに😅
もう‼️「一周忌法要」です。
まだ母が隣に居て『おい✨👋😃』と声を掛けられているような感覚があり、普段の仕草が思い浮かびます。
本当に早い一年でした。それだけ我々も歳をとっていくのですね☺️
何が気楽だったかと考えれば、「年賀状の版画」をやらなくて済んだ事かな⁉️
先日、お寺さんで一周忌法要をやっていただきました。
磐田市見附の風祭山「福王寺」です。
福王寺は真言宗高野山の末派として一千年前に建立されましたが、その後次第に衰微してしまいました。
約500年前に天翁義一禅師(永平寺の直系)を迎え、改めて曹洞宗として再興した。
その当時の旧境内は4万5千坪と広大でしたが、明治維新の際奉還して現在は約8千坪となってしまっています。
福王寺は今川氏の頃より御朱印をいただき徳川時代3百年間、10万石の格式を以て待遇されていた。
山門は慶応4年建立(楼上に梵鐘がある)
本堂
「風祭山」のいわれ
福王寺の山号を風祭山と称する。
開創直後の永観2年、約1千年前、大暴風雨が遠州一帯を襲った際、たまたま諸国行脚の途中にあった天文陰陽の大家、安倍晴明大権現が当山に立ち寄り暴風鎮静の祈祷をしたら、たちまち大暴風雨が収まった。
これにより、福王寺の山号は、風祭山と称されるようになった。
安倍晴明堂
薬師堂
福王寺の薬師堂に安置されている薬師如来は別名「沼薬師如来」と言われています。
江戸時代中期、見附東坂、西鎌田屋加藤幸八家の裏池の沼から掘り出され、福王寺に祀られたもの。
江月堂
安政5(1858年)年より明治2年(1869年)まで21世仙嶺和尚が教えた寺子屋。
位牌堂
本堂内陣
萬両園
十六羅漢像
こんな福王寺に「祖父母」「父母」4名が眠っていますが、私達夫婦、子供達夫婦、孫達はもう此方には来ることはないであろうし、墓守りをどうするか、いつも考えているところです。
この機会に住職に聞いてみました。
まず、永代供養の場合は❔
代表1名に付き100万円、あと各1名に付き30万円だそうで、うちの場合190万円になるらしいです。墓の処分やら供養法要等で200万以上になるようです。
なんだか、お寺さんに「寄付」のような感覚がするので、永代供養は無しですね⁉️
墓をお寺に置いていれば、盆、暮れ、のお布施と清掃料で年間1万円程度で済みます。
永代供養は200年分に相当しますから❗
私達の墓(生前に建立)は横浜に既にあるので、福王寺を離檀して「遺骨」を横浜に引っ越す場合の「離壇料」を聞いたら、約10万円だそうで、これならありかな⁉️と思いました。
横浜での「埋葬許可」も役所で出してもらえるとの事。
此方の土地や家屋を処分する迄は当面、このままにしていくつもりです。
こんな悩みの人も沢山いるのでしょうね🙇
そんな時代になってきたのです。
先の時代を考えると「墓」は無用なのかも⁉️
亡くなった人は、多分何もわからないでしょうから❗
残った人達の気持ち次第でしょうから❗
先日、横浜よりこちら(別宅)に戻って来ました。
帰って来た当日、こちら?は風も無く非常に暖かかった。3月中旬⁉️位に感じられた。
別宅の風通しやら掃除、整理をして明日はテニス☀️🎾と思いきや✨朝から小雨🌂がパラつきだして、結局中止になった。
わざわざ30分かけて(往復1時間)行ったのに、帰って別宅に着いた途端に雨🌂は止み晴れ間が出てきました❗なんてこった😭
さて、今日は花💠を買って墓参りに行き、
天気☀️も良かったので、天神さまに初詣と孫の入学試験合格祈願をして『合格祈願』御札を貰いに行きました。
初詣は横浜で『白山神社』に行っていましたが、初詣なるものは何度でもいいそうです。
まず、地元の近いところに行ってから?
私の地元はどこかしら❗
生まれ育ったのは此方ですが、人生の大半は横浜方面です。
天神さま迄は歩いて7~8分で行けます。
元もと見附天神としてあったのが『矢奈比売神社⛩️』と呼ばれるようになったのは⁉️
矢奈比売神社の創建された時代は定かではありませんが、「続日本後記」には矢奈比売神社の名称が見えるそうです。
正暦4年(993年)には菅原道真が一緒に祀られるようになり、道真の神号に因んで矢奈比売神社と呼称されるようになったそうです。
平日と言うのに、又、こんな田舎街と言うのに割合多くの人達がお参りに来ていました。
入試が近いからか、菅原道真の天神様による合格祈願の人達かしら?
矢奈比売天神社が現在地に移されたのは鎌倉時代の1312年(正和元年)から1317年(文保元年)頃だろうと言われています。
矢奈比売神社の元宮が元宮天神社である。
山から里へ遷座する例は多くあります。
遠江一宮小国神社の元宮は5km程北の山頂にあります。
遠江二ノ宮の鹿苑神社の元宮は春野町杉地区にあります。
ハワーズ(ブロンテ姉妹の故郷)
石畳のメインストリート
前回、湖水地方で蒸気機関車と湖水クルーズの写真ばかりアップしていましたが、湖水地方で代表されるピーターラビットの世界の話も入れておかなくてはいけませんね‼️
ビアトリクス.ポターやウィリアムズ.ワーズワースの事は前回、解説済み?なので関連写真を載せたいと思います。
ワーズワースが後半生を過ごした邸宅
あと、ピーターラビットの関連では「グラスミア」や「ニアソーリー」「ヒルトップ」が出て来ます。
次に「ブロンテ姉妹」に関連する「ハワース」の村に行きます。
ブロンテ姉妹
ヴィクトリア時代を代表する小説家
シャーロット、エミリー、アンの3姉妹
「嵐が丘」「ジェーン.エア」等の代表作がある。
「ハワース」
イングランドのウエスト.ヨークシャーにある田舎の村で人口6,500人程
ハワースを囲む「ムーワ」にはウォーキングができる歩道が網の目のように張り巡らされている。
19世紀の教会とブロンテ一家が住んでいた牧師館の裏に「嵐が丘」の小説に出てくる「トップ.ウィゼンズ」農家へと続く小道がある。
パリッシュ教会(ブロンテ姉妹の父、パトリックが勤めていた教会)
スカボローに埋葬されたアンを除いて、ブロンテ一家はここに埋葬され、家族の碑と記念チャペルもある。
ブロンテ、パーソネージ博物館
ブロンテ一家が1820年から1861年まで住んでいた建物。
雨☔が降ってきたのでこれでイギリス旅行✈️💨は終わりとします。
一旦、ロンドンに戻り、市内観光(ショッピング)して成田に帰ります。
イギリスの風景はまずまずですが、気候が今一気に入りません🙇
7月と言うのに日本の11月頃の気温の感覚です。又、晴れ間と雨が1日の内に何度もありヘキヘキです。
私の気持ちの内ではイギリスはもういいです。
イギリスの旅も最終版
湖水地方へとやって参りました。
おとぎ話の世界、ピーター🐇ラビット。
機関車トーマス?が出てくる?世界。
ウインダミア湖をはじめ、山々に囲まれた大小の湖が点在する湖水地方。
湖水地方は今から約15,000年前の最終氷期の終了と共に形成されたと考えられている。
氷河湖として残っている。
湖水地方近辺は緯度が高く、平均気温が低い為に遷移が進みづらく湖にならなかった部分は岩場やムーワ(酸性土壌の上に背の低い草木のみが広がる土地。日本語では「湿原」。英語名は「沼地」を意味する古いゲルマン語に由来する)が形成されてシダ等が繁茂した。
森林限界以下にはオークが茂り19世紀には松のプランテーションが開かれた。標高800~900mあまりの山がいくつもあり、イングランド最高峰のスコーフル.パイク(標高978m)があり、イングランドで最も深い湖もある。
降水量はその地域によって差があるが、平均降水量は年間2,000mm。平均気温は1月が3℃で最低、7月の15℃が最高。
湖水地方はロシアのモスクワとほぼ同じ緯度だが、北大西洋海流の影響でモスクワより温暖。
山間部を除けば雪❄️が積もることもほとんどないそうです。ただし、年間を通して霧の発生が多く、日中に平均2.5時間、沿岸部では平均4時間程度は霧に包まれるそうです。
湖水地方を訪ねる旅は
ハーヴァースウェイト~L&H鉄道(蒸気機関車トーマス)5.6kmを18分間走り湖畔のレイクサイドに行きます。ここから湖上クルーズで30分~ウインダミア&ボウネス.on.ウインダミア~
6kmニア.ソーリー(ビアトリクス.ポターが半生を過ごしたヒル.トップがある)~7kmオークスヘッド~13kmグラスミア(ワーズワースが名作を生み出した場所)~ライダルマウント(ワーズワースが晩年を過ごした場所)
湖水地方はピーターラビットの故郷として知られ、詩人ウィリアム.ワーズワースゆかりの土地。
絵本「ピーターラビット」の作者はビアトリクス.ポター
ニアソーリー近くにあるヒルトップはポターが39歳の時に購入した農場と家🏡。
屋内には当時の家具がそのまま置かれている。
ポター亡き後はナショナルトラストが管理している。
ライダルマウント&ガーデンズはワーズワースがダウコテージから住まいを替え人生の後半生を過ごした邸宅。もとは16世紀建築の古い農家の建物だった。
ウィリアムズ.ワーズワースは湖水地方で生まれ育ち、自然を愛したイギリスのロマン派を代表する詩人。
ケンブリッジ大学在学中に革命下のフランスに渡り革命思想の洗礼を受けるが、帰国後はグラスミアに移住。
ノロノロの蒸気機関車に乗って(乗っている時間より待っている時間の方が長い)18分間の乗車、レイクサイドに着きました。
小雨が😅降る中、ウインダミア湖のクルーズです。ウインダミアonボウネス迄行きます。
約30分。
近くのレストラン🍴🍝で昼食をとって、午後は旅の最終地「ブロンテ姉妹」の古里「ハワーズ」へ向かいます。
コッツウォルズ二ヵ所目は最もコッツウォルズらしさが感じられる村の「バイブリー」を紹介します。
この地方で暮らしていたウィリアム.モリスが「イングランドで最も美しい村」と賞賛した。
コッツウォルズでも人気が高く、村の中心には鱒が泳ぎ、野鳥がいる清らかなコルン川が流れる。
14世紀に建てられた石造りの家並みの風景が美しい。
アーリントン.ロウ
バイブリーを代表する景観を造っている。
14世紀に建てられた石造りのコテージ。
元は羊🐑小屋だったが、17世紀になって毛織物職人の作業場兼住居として使われるようになった。
現在でも住居として活用されている。
バイブリー.トラウト.ファーム
イングランド最古の鱒養殖場
1902年に創業し、100年以上の歴史をもつニジマスの養殖場。
スワンホテル
1650年に創業した老舗ホテル🏨。
コルン川沿いに静かに佇んでいる。
秋には建物外壁を覆う蔦が紅葉して美しいそうです。
バイブリーのランドマーク。
「ウィリアム.モリス」
草木や花をモチーフにした壁紙で知られる。
詩人や社会革命家としての顔をもつ。
1834年にロンドン郊外に生まれオックスフォード大学に学んで産業革命による機械化に抵抗した。
アーツ.&クラフト運動の先駆者。
コッツウォルズの観光名所の村むら
バイブリー~18km.ボートン.on.the.ウォーター~7km.ストウ.on.the.ウォルド~12km.ブロードウェイ~7kmチッピング.カムデン~~
散歩道を利用してアッパー.スローター&ロウァー.スローターへ行くコースがある。
コッツウォルズの村むら