早いもので2月10日になれば、母が急逝して一年になります。
『光陰矢の如し』でこの一年はあっという間でした。
この前、家内と二人で「初盆」を執り行ったばかりだと感じていたのに😅
もう‼️「一周忌法要」です。
まだ母が隣に居て『おい✨👋😃』と声を掛けられているような感覚があり、普段の仕草が思い浮かびます。
本当に早い一年でした。それだけ我々も歳をとっていくのですね☺️
何が気楽だったかと考えれば、「年賀状の版画」をやらなくて済んだ事かな⁉️
先日、お寺さんで一周忌法要をやっていただきました。
磐田市見附の風祭山「福王寺」です。
福王寺は真言宗高野山の末派として一千年前に建立されましたが、その後次第に衰微してしまいました。
約500年前に天翁義一禅師(永平寺の直系)を迎え、改めて曹洞宗として再興した。
その当時の旧境内は4万5千坪と広大でしたが、明治維新の際奉還して現在は約8千坪となってしまっています。
福王寺は今川氏の頃より御朱印をいただき徳川時代3百年間、10万石の格式を以て待遇されていた。
山門は慶応4年建立(楼上に梵鐘がある)
本堂
「風祭山」のいわれ
福王寺の山号を風祭山と称する。
開創直後の永観2年、約1千年前、大暴風雨が遠州一帯を襲った際、たまたま諸国行脚の途中にあった天文陰陽の大家、安倍晴明大権現が当山に立ち寄り暴風鎮静の祈祷をしたら、たちまち大暴風雨が収まった。
これにより、福王寺の山号は、風祭山と称されるようになった。
安倍晴明堂
薬師堂
福王寺の薬師堂に安置されている薬師如来は別名「沼薬師如来」と言われています。
江戸時代中期、見附東坂、西鎌田屋加藤幸八家の裏池の沼から掘り出され、福王寺に祀られたもの。
江月堂
安政5(1858年)年より明治2年(1869年)まで21世仙嶺和尚が教えた寺子屋。
位牌堂
本堂内陣
萬両園
十六羅漢像
こんな福王寺に「祖父母」「父母」4名が眠っていますが、私達夫婦、子供達夫婦、孫達はもう此方には来ることはないであろうし、墓守りをどうするか、いつも考えているところです。
この機会に住職に聞いてみました。
まず、永代供養の場合は❔
代表1名に付き100万円、あと各1名に付き30万円だそうで、うちの場合190万円になるらしいです。墓の処分やら供養法要等で200万以上になるようです。
なんだか、お寺さんに「寄付」のような感覚がするので、永代供養は無しですね⁉️
墓をお寺に置いていれば、盆、暮れ、のお布施と清掃料で年間1万円程度で済みます。
永代供養は200年分に相当しますから❗
私達の墓(生前に建立)は横浜に既にあるので、福王寺を離檀して「遺骨」を横浜に引っ越す場合の「離壇料」を聞いたら、約10万円だそうで、これならありかな⁉️と思いました。
横浜での「埋葬許可」も役所で出してもらえるとの事。
此方の土地や家屋を処分する迄は当面、このままにしていくつもりです。
こんな悩みの人も沢山いるのでしょうね🙇
そんな時代になってきたのです。
先の時代を考えると「墓」は無用なのかも⁉️
亡くなった人は、多分何もわからないでしょうから❗
残った人達の気持ち次第でしょうから❗