ケンケンの夢飛行

シッペイです。性別-男。特徴-食いしん坊。趣味-街めぐり、スポーツ観戦。誕生日1月20日。友達のジュビロ君。仕事は市やチームのPR☺

スイス紀行(ティチーノ地方)

スイス南部に位置するティチーノ地方の 「ルガーノ」はスイスの中のイタリアと言われる程でイタリア語が主流。
イタリア語の「精なる森」を意味する
ルガーノ」  人口は57,000人
地中海からの暖かい空気が流れ込み、冬場のリゾート地となっている。
イタリアの雰囲気が色濃い。
国境の湖「ルガーノ湖」は観光船🚢も多く、電車よりも移動が便利と言われている。

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中世イタリアのミラノ公園。
ウィリアム.テルの像が建っている。
サンタ.マリア.アンジョリ教会は16世紀に建てられ、礼拝所のフレスコ画は十字架に吊るされているキリストを画いたもの。

ベルナルディーノ.ルイーニ作の「最後の晩餐」はユダの足元に「猫」が画がかれている。ネコは悪魔の象徴と言われている。

ルガーノ湖の庭と呼ばれている中心部の市民の憩いの場はリフォルマ広場。
市場のあった跡で現在はカフェやレストランに囲まれている。
1844年に建てられた市庁舎。

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標高912mのモンテ.サン.サルヴァトーレの山頂までケーブルカーが出ている。
120年の歴史を持つケーブルカー。10分程で標高884mの山頂駅に着く、そこから山頂まではハイキング。山頂には小さな礼拝堂が建っている。
天気が良ければ山頂から湖の向こうにイタリアのミラノの街が望める。

「モンタニョーラ」はドイツの文学者、へルマン.ヘッセが晩年を過ごした家が有り、記念館として残されている。
ヘッセは1962年、85歳で亡くなった。

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ルガーノから北へ約30km、スイスとイタリアを結ぶ交通の要所に城壁を持った城塞都市「ベリンツォーナ」がある。
人口は18,000人、ティチーノ州の州都になっている。3つの城に守られている。
街の中心に位置するカステル.グランデは13世紀半ばに建てられ、その後300年かけて増改築が繰り返えされた。
レストランや博物館を備えた文化センターとして再利用されている。
モンテベッロ城を含め3つの城と防壁群は
リンツォーナ旧市街のものと一緒に2000年に世界遺産に登録された。
メルローワイン(赤)が有名。

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リンツォーナから西へ20kmに「ヴェルザスカ渓谷」がある。
渓谷はヴェルザスカ川に沿っておよそ30kmに渡って延びている。

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ロカルノ」は1946年から毎年8月に開催されるロカルノ映画祭の舞台としても知られている。

マッジョーレ湖」は湖面がイタリアとの国境になっている。1/3がスイス、2/3がイタリア。
ヴィスコンティ城」は12世紀に建てられたもので今でも残っている。
ミラノの名門「ヴィスコンティ家」の居城であった。
現在あるのは建設当時の1/5の規模と言われている。
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標高355mの湖を見下ろす丘の上に建つ
「マドンナ.デル.サッソ教会」は1487年に建てられた。
岩の上の聖母マリアを意味していてスイスにある4箇所の巡礼地の一つとされている。
町の中心からケーブルカーと階段で登る。
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へルマン.ヘッセの言葉
他の人達は目標、目的を持っている
私はもう「生きているだけで満足だ」

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スイス紀行(レマン湖周辺)

ジュネーブ」はスイス第二の都市で人口18万人。標高380m.最高気温25℃
高さ140mにまで噴き上げるジェット噴水は1891年スイス建国600年の記念として作られた。
気温0℃以下や風が強い日は駄目。

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レマン湖から流れ出るロール川の中洲に浮かぶ「ルソー島」にはジュネーブ出身の「ジャン.ジャック.ルソー」の銅像がある。
1717年時計作りの息子として生まれた。
宗教改革を行った。
12~13世紀にカトリックの教会として建てられた「サンピエール大聖堂」も16世紀になると宗教改革の波に巻き込まれ、ジュネーブ宗教改革の聖地となった。
フランス人の「ジャン.カルダン」はプロテスタントとなってスイスに亡命した。
カルダンの後、宗教改革の嵐となって、各国から集まったプロテスタントジュネーブの街は溢れた。
今のホテルは昔、修道士達が暮らした部屋を利用している。
ローヌ通りは時計を扱う店が多い。
プロテスタントには時計作りに携わる人が多かった。
およそ、600社の時計作りの店がある。
直径5mの機械式花時計。

定期船、観光船が湖畔で暮らす人達の足となっている。
湖畔の町にはミネラルウォーターで有名な「エヴィアン」がある。
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サヴォイア家の建造物が数多く残っている。
「モルジュ城」「ヴュイユラン城」等、14世紀に建てられ、増改築が重ねられ18世紀に現在の姿になっている。
花庭園で観光客も多い。
「オードリー.ヘップバーン」が1989年に引退して晩年過ごした家。
彼女はよくチョコレートを買いに来たそうです。
当初は飲み物として広まったチョコレート。
スイス人は12kg/人.年の消費量で日本人の6倍だそうです。

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ラヴォー地区は葡萄🍇畑での栽培でワイン🍷作りが盛ん❗
200店のワイン製造農家がある。
白ワイン用のシャスラという葡萄を育てている。

グリュイエールはチーズ作りが盛ん❗
大通りは200mのみ❗
11世紀に建てられたグリュイエール城🏰は
フランス式庭園を持っている。
隣村がモレゾンで牛の放牧によりチーズ工房が多い。
昔ながらの手作業でグリュイエールチーズを作っている。
ヴィルヌーヴレマン湖の魚🐟ペルシェ(食料魚)を捕る漁業で前日から網を仕掛けておく置き網漁。
1トン/月の水揚げがある。

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体力維持の為、何してる⁉️

横浜に来ているとテニスは土曜日、日曜日に限定されている。
火曜日、水曜日は本来ならあるのだが、緊急事態宣言のためか規制がかかっている。
よって、土曜日、日曜日の天気にかかってくる。
幸い❔ここ二週間程は何とかテニスも出来ました。
火曜日、水曜日が無いので、平日(毎日が平日)を体力維持の運動でもしょうとウォーキングとジョギングを再開しました。
二週間程を振り返ってみます。

3月1日から開始、家からゴルフ場裏の階段上迄歩き、旧小学校⚽🏫✏️跡地公園迄東に移動、ウォーキングです。
約14分、2,000歩です。
そこからランニング(ジョギング)スタート、プール迄行って鎌倉ハイキングコースに入る階段を往復して、住宅地の東側最外周を回り、六浦街道横にある生協迄出て、かなりの急坂をかけあがり公園迄戻るコースです。
ランニングが約3.5km位と思われます。
20分前後で走ります。
家迄帰るとほぼ40分の運動。
全てのコースをウォーキングのみでやると1時間位です。
3月1日は足慣らしの為ゆっくりランニングしました。
約7,000歩です。
翌日、筋肉痛が出るかと思いましたが、幸い❔雨(小降り、風強い)で家の中でストレッチを少しした。筋肉痛は出なかった。

3月3日は次男の家に用事があったので、行く事になったが、私は山を歩いて行き、家内は車で行く事にした。待ち合わせ時間を決めて私が先にスタート。
昨日の雨で道がぬかるんでいると思ったが、ほとんど乾いていた。
雨で埃が落ち、空気が綺麗?で富士山が良く見えた。
35分で着いた。
車で鎌倉街道を行くと15分位かかる。
風は強かったがハイキングコースは風がほとんど感じない。木々で遮られている。
鳥の鳴き声も全くなかった。非常に静かであった。
約6,000歩であった。

3月4日は定例コースをウォーキングとジョギング。階段の登り降りを繰り返し等して約8,000歩。ランニングは20分であった。

3月5日はウォーキングのみ。筋肉慣らし。
コースは同じ。丁度1時間。約8,000歩。

6日、7日はテニスをやってランニングは無し。

10日は定例コースをウォーキングとランニングでランニングを少しペースを上げてやってみた。
18分49秒であった。
昨年の最速記録には及ばず、2番目の記録となった。
3月11日は昨日より更にペースを上げ、18分30秒になった。まだ、最速記録にはならず。

3月12日は全コースウォーキングのみで46分程でした。
体力維持まだ出来ていそうな感じ‼️

家の南側道路より富士山。3月3日
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ハイキングコース途中から
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大船方向と大山(丹沢方向)
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スイス紀行(ベルン)

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今回はスイスの首都「ベルン」です。
スイス4番目の規模ですが、首都です。
1491年神聖ローマ帝国のドイツ系の人々で建国された。
標高542mにある。
2015年現在、人口約14万人。
1405年の大火事で街の2/3が焼失。石造りの街へと変わっていった。
ベルン州、ミッテルラント区に属し、人々は中世の時間を生きている。
ベルンの語源は市の紋章になっているドイツ語の「熊🐻」であるとされている。
スイスは直接民主制、上下両院、国民投票ができる。

国土は日本の1/10だが鉄道網は総延長5,000km。
平均月収は50万円程度あり、アルバイト代も3,000円/時間位で物価は高い。

アルトシュタット(旧市街)には中世の建築が保存されている。
ルネッサンス様式のブンデスハウス(連邦議事堂)ではスイス議会や外交官会議が開かれる。


アルプスの雪解け水で作られたアーレ川が流れていて300kmを経てライン川に合流する。
メインストリートはクラム通りで「アインシュタイン」が暮らしたアパートがあった。
彼は2年間、特許庁で働いていた。

雨☔と雪❄️を避ける為「ラウベン」(アーケード)が6kmにも及んで設置されている。
地下の物置き場所だった所を改装して商店として使っている。
メリットは家賃が通常の1/4で済む。

スイスで最も高い大聖堂(ベルン大聖堂)があり、時計塔は13世紀初頭に城壁として作られたが、途中で時計塔に造り直された。
しかし、火災で焼失し1530年に造り直された。

噴水が100箇所以上あり、子喰い鬼の噴水が最も有名。
正義の女神の噴水(目覆しをして天秤を持っている)
ツェーリンゲンの噴水はベルンの町を作った人を讃えたもの。

週末には青空市が建ち並ぶ。チーズは古代ローマ時代からもう作られていた。

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スイス紀行(ルツェルン)

今時の話といえば、新型コロナの感染、ワクチンとオリンピックをどうするか⁉️
が主流かと思われます。
緊急事態宣言が出ていますが、人々の生活行動は普段と変わらず、人出も特に減っているようには感じません。
ただ、旅行関係だけは激減している感じがある。
特に海外旅行は目に見えていますね❗
海外から持ち込まれるのは嫌(*´・ω・`)bね。☺️
鎖国するのが一番。現在の社会情勢からするとそれは無理か⁉️かえって、非常識か?
日本は島国だから水際対策を確実にやれば、何とかなると思うのですが?
オリンピックで人が移動する。
感染が広がる❗
海外から人が来ないと話にならない😅❔
それは全て最終的に『金』(かね)の話に行き着き、それに絡む利権?
オリンピックってそんなものなのか⁉️

そんな話は置いておいて、海外旅行で印象のある(全て、印象的で記憶に残っていますが…………)スイスについて少し書いてみます。
スイスに最初に行ったのは46~47年程前の事で仕事の研修で1ヶ月間でした。
二度目はドイツが主体の旅行中、スイスにも立ち寄って少し見て回った。

最初の頃にはまだ「デジタル」では無く、アナログの時代でカメラもフィルムを現像するタイプでしたから、映像もカメラは8ミリフィルムのものでした。
よって、記録写真も少ないため、今回はBSテレビ映像の「世界水紀行」から写したものを貼り付ける事にしました。
少し暗くて見にくいかもしれません。

では、研修中の土曜日、日曜日の休日に電車で行った街を幾つか載せます。

まずは、「ルツェルン」から❗
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スイスアルプスの雪❄️解け水が音を奏でる湖畔の街、アルプスの絶景、作曲家「ワーグナー」が愛した「スイス.ルツェルン」を訪ねます。
ルツェルンは標高422mの山あいの町、1200年前に造られて、13世紀に南北交易の町として栄えた。
人口は8万人だが、観光客は年間2,500万人訪れる。
面積は114平方キロメートルで「猪苗代湖」と同じ広さ。
雪解け水がロイス川に注ぎ下流ライン川に合流してオランダのロッテルダムに流れて黒海に出る。

『カペル橋』
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屋根付きの木製の橋で全長206m、1333年に町を守る為に造られた。高さ43mの水の塔には見張り台がある。
橋の天井にはルツェルンの町の歴史を司る17世紀の絵が飾られている。
1993年の火災で110枚の絵と橋の一部が焼失した。
我々が訪れたのは47年前の1974年頃だったから焼失前のものを見る事ができた。
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ワイン🍷広場は昔、此処に「市」が建っていたので名付けられた。
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町の看板は文字が読めない人の為に附けられたもの。
「ホテル.デ.バランス」は(天秤の意)裁判所だった。
中世の生活を描いたフラスコ画の歴史画。
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平地が少ないので、農業ではなく、川魚を捕るのが主業(カワカマス、ニジマス等)
農地は3/4が牧草地でチーズ作り。

「ムーゼック城壁」
1400年に建てられた。ハプスブルグ家との戦いに備えた。
現在900mの長さに渡って残っている。
城壁は一部は穴が開けられ通り抜けできる。
今は9つの塔が残り、そのうちの4つの塔に登ることができる。その一つツィート塔は1534年に建てられた時計塔。
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「シュプロイヤー橋」
カペル橋から上流400m程行った所にある。1407年完成、ここに脱穀機場があったので「麦の籾殻」と名付けられた。
「カスパー.メグリンガー」が35年かけて描いた67枚の絵「死の舞踏」があり、これは「ペスト」について描いたもの。
橋の中程に礼拝堂がある。

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「イエズス教会
バロック様式の建物で天井にフランシスコ.ザビエルの生涯が描かれている。
カトリック教会である。
スイスはカトリックが37%、プロテスタントが28%である。
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「ホテル🏨フィッツナウ」
1903年オープン。オードリー.ヘップバーンもよく来たそうです。
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ドイツの作曲家「リヒャルト.ワーグナー」の記念館がある。
1866年~1872年迄この家で過ごした。
ジーク、フリート牧歌を作曲。1870年クリスマスに妻へのプレゼントととして上演された。

瀕死のライオン像記念碑
ベルテル.トーヴァルセンの設計でルカスアホルンによって1820年~21年に作られた。
フランス革命でのスイス人傭兵786人の慰霊碑
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街の南側にルツェルン湖、その南側に「リギ山とピラトウス山」がある。
ピラトウスはキリストを処刑したとしてキリスト教の歴史に登場する。
1889年に登山鉄道が開通。スイスで3番目に古いもの。
最大傾斜角度48度、30分で頂上近くに着いて山頂へは階段を登って行く。
頂上からは「ユングフラウ」「メンヒ」
「アイガー」を望むことが出来る。

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訃報です。『メジロ』の❗

124年❔ぶりの珍しい?「節分👹」も昨日の事。
立春の今日は小春日和と言って良いくらい穏やかで暖かい日差しです。(気温は平年並みらしいですが)
節分の「豆まき」に入れる「大豆」or「落花生」も地域によって違うらしい。
恵方巻き」を食べることも、私は10年程前に知ったくらいで、習慣やシキタリについても結構無頓着の方であります。
恵方巻きも「海苔巻き」の拡大版ではないか?と思う次第です。何故、その方向を向いて食べると良いのか?
そもそも、「大安」や「仏滅」など旧暦の暦上のものであろうに❗
まあ、これら「シキタリ」やら「習慣」など将来も新暦、旧暦に関わらず「節分」「立春」など無くなる事はなく、昔からの農業主体の季節の変わり目による、風習、行事、祭、等も行われていくことでしょう。

日本人は旧来の風習に含め、外来の行事も抵抗無く受け入れて、日本式に展開している❗
別に悪い事とは思いませんが、「商魂」が逞しい感じに思います。
「クリスマスケーキ」「バレンタインチョコ」「義理チョコ」お返しの「ホワイトチョコ」「カボチャの🎃パンプキン.ハロウィーン」迄何でも商売に結びつけて❗

話が余分な方向に流れそうなので『訃報』に戻します。
先日、庭のテラス下でメジロが一羽死んでいました。
前にブログに載せた『メジロの来訪』のメジロとは別のものです。

死んだメジロは傷付いた感じは無いものの、二ヶ所程「毛」が抜けている感じのところがあった。
メジロは今、頻繁に来ています。
ミカンを輪切りにして、餌付け的に与えているため。
5~6羽くらいの群れで食べに来る。
強い?者が追い払い、独占的に食べ続ける事も多い。
しかし、交代しながら食べることも結構あります。
「ひよどり」に取られないように、網籠の中にミカンを入れてあり、その近く「椿」の🌳の下に小さな羽が多く散乱していました。
多分、そこで襲われ、家のテラスの所まで逃げて来たが、力尽きた?のかも。
見ていないので、何とも言えませんが、推測では「ひよどり」に殺られた?
メジロどうしでは追いかけても、殺す事迄はしないでしょうから❗
ストレスで死ぬ場合も有るかもしれませんが、今回は羽が散乱していたから。

「ひよどり」以外には「カラス」「鳩」「トンビ」「猫」等考えられますが、滅多に見ることはありません。
ミカンを狙って来るのは「ひよどり」だけですから。

四十雀も餌付けをしていて、頻繁にやってきます。
朝、雨戸を開ければ「催促」の鳴き声を発するくらいです。
四十雀「ピーナッツ」の餌でミカンは食べないので、メジロと争う事はありません。
四十雀は「🌻ひまわり」の種を食べると近隣の人から聞いて、一昨日からやってみるも(皮を剥いて食べ易くしてやっているのに❗)ほとんど来ません。食べません。2~3回持って行っただけです。
諦めて、「ピーナッツ」に切り替えたら、直ぐ来ました。ゲンキンなものです。
でも、来てくれる方が嬉しいですが…………

死んだメジロは椿の🌳下に埋葬してやりました。

その直ぐ横には「九官鳥」の九ちゃんが埋葬されています。
九ちゃんの事は以前少し書いた事がありますが、20年程前に4~5年飼っていました。
当時でも割りと高額(我々には)で購入したと記憶しています。
今では売られていません。ね❗
法律上制限があるのかな?

九ちゃんは歌が上手でした。
特に「松田聖子」の「貴方に逢いたくて」が得意でした。
声は人で言うと「口笛」の感じです。
懐かしい‼️
九ちゃんは病気で死にました。涙💧が出ましたけど。今でも覚えています。
当時、割合、海外旅行によく出かけていたので、一週間位の留守の間、動物を扱うホームセンターに預けて行きました。
旅行から帰って、迎えに行くと顔を(我々の)見て、『お帰り、お帰り』と言っていました。
普段、家に居る時、外から帰って来て玄関ドア🚪を開けると、直ぐ『お帰り』と言う癖が付いていたからです。
本当に可愛いと思いました。
多分、病気はその「ホームセンター」で感染したのではないかと思っています。
家に戻って来ても元気が無く、一週間程で死んでしまいました。

その「九ちゃん」の横にメジロも埋葬してやりました。

これが、日々の積み重ねによる『歴史』になっているのだなあー💧✨と感じるこの頃です。
歳ですかね😅

少し昔の写真📷になりますが…………………🐵
九官鳥の九ちゃんとメジロ達。
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三度目のハワイもテニス☀️🎾

今の時期、海外旅行✈️👜云々言っている場合ではない😅
しかし、アメリカ🗽大統領の交代も終わり、今後どのように進んで行くか興味あるところではあります。
今まで、アメリカは世界に向けて偉大な国と思っていましたが、アメリカファースト=自分ファーストの『井の中の蛙』でアメリカ人の半分近くが世界観を近視眼的に観ている事がわかった一年でした。
アメリカに対する見方も少し変化したようにも感じています。

人種差別感覚もほとんど改善されていないでしょう❗(内心的には)
スポーツ関係にして、黒人やヒスパニック系の人達が出ないで、白人(アメリカ内)だけでどのくらい勝つことが出来るだろうか⁉️

コロナがなかったら、『トランプ♠️大統領』がまだ続投していた可能性も大きかったかも?
コロナの流行も歴史的な流れの中の一つの『運命』かも?

と言った事を感じながら、現在を過ごしていますが、暫くして『あんな事も有ったね❗』と思い出す時が早く来ると良いですね☺️

昨日は寒さも和らぎ、風も無く、穏やかな日でテニス☀️🎾日和でした。
勿論、予定に入っていたので、参加しました。
7人の参加でしたが、皆さんそれぞれの思いでゲームに取り組んでいたと思います。
私は皆さんがもう終わろう❗と言ってから
まだ一時間以上コート予約時間が残っていたので、『サーブ』の練習をディュースサイド、アドバンテージサイドのそれぞれで合計200球程打ちました。
結果は自分なりには満足出来る内容でした。
今後のゲームに生かして活きたいと思います。

さて、ハワイでのテニスですが、二回目のハワイ訪問が2009年5月でした。
今回の三回目は一年後の2010年4月です。
実は、前回仲良しになった『軽井沢在住のSさん』と約束をしていました。
来年も来て一緒にやりましょうと❗
その間、初秋に彼の軽井沢に行って4泊(旅館)程してテニスを教授してもらいました。
彼はコーチくらいのレベルの人ですので、
当時の私のレベルでは相手にするのもつまらなかったでしょうけど、付き合ってくれました。

そんなわけで、一年後にハワイで再会してテニスのみをする海外旅行となりました。
現地では前回お世話になった現地の日本人、Mさんと同僚のS(ドイツ系カナダ人)さん(二人とも女性)レベルは私と変わらない❗
軽井沢のSさんと私の家内が飛び抜けているだけ。
それでも、楽しく、テニスと食事会、教会での『ミサ』に連れて行かれたり、(カトリックファーマーズマーケットに連れて行ってもらったりしました。
移動はMさんの車(旧式ベンツ)で島内巡りも若干してもらいました。
テニスコートは『アラモアナ公園』です。
午前中のみで、午後は暑くて日差しが強すぎるので、現地の人達も誰もやりません。
ガラガラです。
個人的には、テニスが上達したかどうかは解りませんが、テニスを楽しくやれる感触を得た事は収穫だったと感じていました。
なかなか、ハワイでテニスをやるのも無いでしょうから‼️
どうしても、観光やショッピングが主流になってしまいますよね❗☺️

こんな、感じでした。
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教会で。中央がMさんのご主人で日本のアメリカ大使館勤務だったそうです。
とても優しそうな方でした。
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