今時の話といえば、新型コロナの感染、ワクチンとオリンピックをどうするか⁉️
が主流かと思われます。
緊急事態宣言が出ていますが、人々の生活行動は普段と変わらず、人出も特に減っているようには感じません。
ただ、旅行関係だけは激減している感じがある。
特に海外旅行は目に見えていますね❗
海外から持ち込まれるのは嫌(*´・ω・`)bね。☺️
鎖国するのが一番。現在の社会情勢からするとそれは無理か⁉️かえって、非常識か?
日本は島国だから水際対策を確実にやれば、何とかなると思うのですが?
オリンピックで人が移動する。
感染が広がる❗
海外から人が来ないと話にならない😅❔
それは全て最終的に『金』(かね)の話に行き着き、それに絡む利権?
オリンピックってそんなものなのか⁉️
そんな話は置いておいて、海外旅行で印象のある(全て、印象的で記憶に残っていますが…………)スイスについて少し書いてみます。
スイスに最初に行ったのは46~47年程前の事で仕事の研修で1ヶ月間でした。
二度目はドイツが主体の旅行中、スイスにも立ち寄って少し見て回った。
最初の頃にはまだ「デジタル」では無く、アナログの時代でカメラもフィルムを現像するタイプでしたから、映像もカメラは8ミリフィルムのものでした。
よって、記録写真も少ないため、今回はBSテレビ映像の「世界水紀行」から写したものを貼り付ける事にしました。
少し暗くて見にくいかもしれません。
では、研修中の土曜日、日曜日の休日に電車で行った街を幾つか載せます。
まずは、「ルツェルン」から❗
スイスアルプスの雪❄️解け水が音を奏でる湖畔の街、アルプスの絶景、作曲家「ワーグナー」が愛した「スイス.ルツェルン」を訪ねます。
ルツェルンは標高422mの山あいの町、1200年前に造られて、13世紀に南北交易の町として栄えた。
人口は8万人だが、観光客は年間2,500万人訪れる。
面積は114平方キロメートルで「猪苗代湖」と同じ広さ。
雪解け水がロイス川に注ぎ下流でライン川に合流してオランダのロッテルダムに流れて黒海に出る。
『カペル橋』
屋根付きの木製の橋で全長206m、1333年に町を守る為に造られた。高さ43mの水の塔には見張り台がある。
橋の天井にはルツェルンの町の歴史を司る17世紀の絵が飾られている。
1993年の火災で110枚の絵と橋の一部が焼失した。
我々が訪れたのは47年前の1974年頃だったから焼失前のものを見る事ができた。
ワイン🍷広場は昔、此処に「市」が建っていたので名付けられた。
町の看板は文字が読めない人の為に附けられたもの。
「ホテル.デ.バランス」は(天秤の意)裁判所だった。
中世の生活を描いたフラスコ画の歴史画。
平地が少ないので、農業ではなく、川魚を捕るのが主業(カワカマス、ニジマス等)
農地は3/4が牧草地でチーズ作り。
「ムーゼック城壁」
1400年に建てられた。ハプスブルグ家との戦いに備えた。
現在900mの長さに渡って残っている。
城壁は一部は穴が開けられ通り抜けできる。
今は9つの塔が残り、そのうちの4つの塔に登ることができる。その一つツィート塔は1534年に建てられた時計塔。
「シュプロイヤー橋」
カペル橋から上流400m程行った所にある。1407年完成、ここに脱穀機場があったので「麦の籾殻」と名付けられた。
「カスパー.メグリンガー」が35年かけて描いた67枚の絵「死の舞踏」があり、これは「ペスト」について描いたもの。
橋の中程に礼拝堂がある。
「イエズス教会
バロック様式の建物で天井にフランシスコ.ザビエルの生涯が描かれている。
カトリック教会である。
スイスはカトリックが37%、プロテスタントが28%である。
「ホテル🏨フィッツナウ」
1903年オープン。オードリー.ヘップバーンもよく来たそうです。
ドイツの作曲家「リヒャルト.ワーグナー」の記念館がある。
1866年~1872年迄この家で過ごした。
ジーク、フリート牧歌を作曲。1870年クリスマスに妻へのプレゼントととして上演された。
瀕死のライオン像記念碑
ベルテル.トーヴァルセンの設計でルカスアホルンによって1820年~21年に作られた。
フランス革命でのスイス人傭兵786人の慰霊碑
街の南側にルツェルン湖、その南側に「リギ山とピラトウス山」がある。
ピラトウスはキリストを処刑したとしてキリスト教の歴史に登場する。
1889年に登山鉄道が開通。スイスで3番目に古いもの。
最大傾斜角度48度、30分で頂上近くに着いて山頂へは階段を登って行く。
頂上からは「ユングフラウ」「メンヒ」
「アイガー」を望むことが出来る。