ケンケンの夢飛行

シッペイです。性別-男。特徴-食いしん坊。趣味-街めぐり、スポーツ観戦。誕生日1月20日。友達のジュビロ君。仕事は市やチームのPR☺

ナザレを経てリスボンへ‼

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コインブラのホテル『アステリア』(1927年創業)を7時55分出発、冬の季節暖かいけど夜明けが遅い。8時で日本の6時30分ぐらい。
まず『バターリャ』に寄りました。
バターリャ中心市街地には7,500人程、その他の行政区を含めて15,000人が居住している。
バターリャ修道院は1983年世界遺産に登録された。ドミニコ修道会修道院ポルトガルにおける後期ゴシック建築の傑作。マヌエル様式も用いられている。正式名『聖母マリア修道院』は1385年8月14日バターリャ近郊で行われたアルジュバロータの戦いカスティーリャ王国軍をジョアン一世が打ち破った事を聖母マリアに感謝するために建設が開始された。
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アルジュバロータの戦いは1383年からカスティーリャ王国ポルトガルとの間で展開された戦争に於てポルトガルの勝利を決定付けた戦いとして知られ、バターリャとはポルトガル語で『戦闘』を意味する。
1386年に建設が開始されたが1517年にある程度の完成を見せるも、その間(2世紀)ポルトガルの国王は7人が在位している。建設には15人の建築家が携わった。建設当初より従事した建築家はアフォンソ,ドミンゲスである。1402年まで建築作業を続けたドミンゲスが修道院の計画を立て多くの建築物を建てた。
リスボンジェロニモ修道院の建設に全力を注ぐジョアン三世の決定によってバターリャ修道院の建設が中止された。
1755年のリスボン地震によって損害を被ったが、これよりも多くの被害を受けたのはナポレオン配下の将軍アンドレマッセナによる破壊であった。1834年にはドミニコ修道会バターリャ修道院の建築物群から追放されると修道院は放置され廃墟と化した。
1840年フェルナンド二世がこの修道院の修復を宣言し、その作業は20世紀の初めまで続いた。1980年に修道院は博物館へと転換された。
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バターリャを経てナザレには12時に着いた。
『サン、ミゲル』という海岸の店で『いわし料理』の昼食、ツアー客の中によく知っていて『醤油』を小瓶に分け入れて持って来た人がいた。醤油が有ると良い。
ナザレは銀海岸(コスタ、デ、プラタ)に面したポルトガル屈指のリゾート⛵🌴地で人口14,900人、四世紀にパレスチナのナザレから一人の聖職者が聖母マリア像を持ち込んだ事にちなんで町の名前が付いた。長い砂浜を持ち夏には観光客で混雑する。
漁民によって編まれる伝統衣装も知られる。
既婚女性は黒衣を着込み伝統的なスカーフで頭部を覆い、刺繍を施したエプソンを多色使いのフランネルのスカートの上に重ねる。
海岸から標高110メートル地点の岩の上にあるシーティオ(丘陵頂上の旧市街)に、最初の定住地が造られた。住民はバルバリア海賊、フランス、イギリス、オランダ各国の海賊達からの略奪を避ける為安全な基地を造った。こういった襲撃は19世紀初頭まであった。
ナザレ教会は12世紀に騎士の命を聖母が救ったという伝説上の奇跡的とりなしを記念し建てられた。9月8日が町の祝日。
ナザレを13時30出発。リスボンに向かう途中、作家檀一雄が一年半滞在したという『サンタクルス』という村に寄った。
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14時15分に『オビドス』という小さな村に着く。オビドスは『谷間の真珠』又は『中世の箱庭』とも呼ばれる中世の面影を今に残す。
城壁に囲まれ丘の上にある小さな村で人口800人、城壁をくぐるとそこは花💠で飾られた白い壁の家々がある。19世紀迄代々ポルトガル王妃の直轄地『王妃村』として栄えた。
名物はチョコレートのカップに入った甘い『ジンジャ』(さくらんぼのお酒🍸✨🍷)
雨樋の形(半円)の素焼き瓦に絵が書いてある土産物が売れている
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リスボン、ホリデー-イン-コンチネンタル-ホテルに到着したのは18時30分でした。
この夜🌙✨は夕食🌃🍴を兼ねて『ファド』を観賞に行く予定です。