ケンケンの夢飛行

シッペイです。性別-男。特徴-食いしん坊。趣味-街めぐり、スポーツ観戦。誕生日1月20日。友達のジュビロ君。仕事は市やチームのPR☺

文旦、晩白柚のマーマレード

2017年12月22日の「果林ジャム」の題名及び12月19日の「テニスというよりは❕」という題名で載せましたが、今回は同様に文旦と晩白柚を使ってマーマレードを作りました。
水曜日にテニスの春季大会に参加した時(雨☔で寒かった❗屋根付きコート4面に84名の参加)山本さんからネーブルを全員に(参加賞とは別に)4~5個分けてくれました。
私は別に文旦を2個貰いましたが、彼曰く 「美味くないからね❗」と言われたので「じゃー、マーマレードにでもするから❕」と言って貰ってきました。
又、金曜日のテニスでは高桑さんから「晩白柚」を食べてよ❗と言って皮を剥いて貰って食べましたが、皮が厚くて大きいものだったので「もったいないから皮を貰って行きます」と言って貰ってきました。
そんな訳で今日は二種類のマーマレードを作りました。
昨年に「鬼柚子」で作っているので要領はわかっていました。
晩白柚マーマレード完成品
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マーマレードというと一般的には柑橘類の皮の部分を使用するが実も使って量を多く作る。
1.皮を薄くスライス
2.実は薄皮を取り除き、解しておく。
重さを量る
(実はすぐ使わないので容器に入れて冷蔵庫で保管)
3.種は茶パックに入れておく
4.皮の部分を全て入れて沸騰させる。5分程茹でてからザルに空ける。
5.水に晒して冷めたら固く絞っておく。
6.沸騰、茹で、絞りを3回程繰り返す。
7.水に浸して一晩置く(皮の苦味が取れる?)
8.水を絞って、鍋に入れる
9.実の部分も加える
10.皮と実の重さの25%量の砂糖を加える。
(水は入れない)
11.上にお茶パックに入った種を載せる。
(種にはペクチンが含まれているので「とろみ」付けになる)
12.砂糖が溶けて水気が出てきたら残りの砂糖を加える。
(砂糖は皮と実の重さの半分量を使う)
13.完成の見極めは、へらを動かした時、一瞬鍋底が見える程度のとろみ加減が良い。
14.これ以上煮詰めると冷めた時に固くなりすぎる。

文旦の時
皮のみ300g、実のみ315g、計615gであったので上白糖300g入れる事にしました。

晩白柚(柑橘類の内のサボテン🌵の一品種)
の時
皮と裏の柔らかい白い厚皮が620g
よって上白糖は350gを入れる事にしました。

やり方は同じです。
二つ一緒にすると鍋に入りきらないので、面倒でも二回に分けて作業しました。
文旦の実と種
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晩白柚の皮
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細かく刻んだもの
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文旦の下茹での様子
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文旦の完成品
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晩白柚の完成品(大きい瓶ですがいっぱいになりました)
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作業後記
スーパー等で買うマーマレードはゲル化する為「ペクチン」を入れてあります。
ジャム化した感じで見た目が良いので私もとろみを多めにしたいのですがペクチンを入れる訳にもいかず、細かく刻んだ皮を「摺鉢」で細かく潰して煮込みながら鍋の中でも潰していました。
甘さはレシピの如く半分量で大丈夫です。

ダイアモンド💎富士&鎌倉と桜🌸

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家🏠の近くの道路から見た夕方の富士山🗻
ダイアモンド富士になるには時期と時刻と天気が揃ってはじめて撮れます。
3月24日17時30分頃です。
24日以降は天気があまり良くなくて眺めているだけでしたが、4月に入って家の2階西窓から見た夕方の富士山はこんな具合です。
すでに太陽☀️は北側にずれていました。
拡大すると引き込み電話線が邪魔で見にくいですが❗
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先日、葉山方面に用事で出かけた時、久しぶりに逗子ハイランドの住宅地を通ってみました。
(桜並木を確認する為)
横浜-横須賀高速道路の朝比奈IC横から鎌倉霊園の朝比奈切り通しを抜けて十二所から逗子に入る道を行きます。
随分昔に同じ季節(3月末)に桜並木を撮った写真と今回の写真を載せてみます。
今回は車の中からの写真なので良くないかも⁉️
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今回の写真
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一昨日は横須賀に行くのに鎌倉から逗子、葉山を抜けて逗葉道路から横須賀線衣笠駅に向かって進み、遠回りして横須賀に行きました。
風が猛烈に強かった。
その時、逗子の海岸の「渚橋」から眺める「江ノ島」「富士山🗻」は非常に綺麗です。
今は春霞でボヤケて良く見えないので、いつかその写真を撮って載せようと思います🙇

そんな訳で鎌倉海岸の春霞の具合と桜🌸の感じを確認する為、自転車🚲にて行ってみました。
土曜日で晴れて温かく、風もほとんど無く、かなりの人出を想像して、あまり混んでいたら戻って来ようと決めて出かけました❗
以外や以外、車🚙車🚗はガラガラで(鎌倉街道)少しだけの渋滞は八幡宮横だけでした。

鎌倉の(檀❓)カヅラ(駅から八幡宮への)通りは二年位前に改装して桜の苗木もまだまだですが、花🌸は何とか咲いていました。
今後、木が大きくなったら桜並木が見応えあると思います☺️
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目的地である「妙本寺」は鎌倉駅から東南東に200~300m程行くと「本覚寺」の直ぐ近くにあります。
拝観料は不要で車も本堂近く迄入れます。
駅前「小町通り」のような喧騒場所と違い、静かな佇まいで一息つけます☺️
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ここで帰宅する事も出来たのですが、海岸の春霞を確認する為、「材木座海岸」に出て「逗子マリーナ」を目指して進む事にしました。
かなり暑い😅です。
材木座海岸に出て、海を見たら「駄目」江ノ島は見えるものの富士山は全然駄目だったので「逗子マリーナ」行きは止めました。
海岸ではウインドサーフィン🏂の人達が数多く出ていました。
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帰りは元の道を帰るか?迷いましたが、(八幡宮の所が混んでいるので)朝比奈切り通しの鎌倉霊園を抜けて朝比奈のトンネルを通って帰ることにしました。
鎌倉霊園裏側の公園の桜です。
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3時間弱のツーリング❔でしたが、疲れました☺️

クロアチア🇭🇷の旅(アドリア海の真珠、ドゥブロヴニク)

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クロアチアの旅の最終目的地であるドゥブロヴニクを尋ねてみましょう‼
DUBROVNIK
中世都市ドゥブロヴニク市街は今日でも城塞によって取り囲まれている。この城塞はドゥブロヴニク自由都市として守ってきた。
アドリア海沿岸の山と海の間に位置するドゥブロヴニクは今日、50,000人の住民を抱えるクロアチア最南端の都市として栄えている。
城塞に囲まれているこの都市は中世には独立共和国だったこともあり、今日なお中世の面影を色濃く残しており1979年にはユネスコより世界遺産の指定を受けた。
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ドゥブロヴニクは地中海性気候で温暖な気候地域であるということと、中世より諸外国との貿易によって栄えていたという土地の性格がら都市では様々な地域の植物を見ることができる。
なかでも杉や松といった針葉樹林、月桂樹、地中海特産の薬草ローズマリーを多くみることができる。一年のうちおよそ250日以上が晴れの日を記録し、年間の降水量は非常にわずかで平均気温は17度である。夏の間の平均気温は常に26度以上を維持し冬では1月が最も寒い月であるが、それでも7度以下の気温になる日はめったになく雪❄️が降るなどという事は非常にまれである。このような温暖な気候によりドゥブロヴニクでは一年のうち4月から10月にかけて海水浴を楽しむことができ、この間の毎年の雨の日の記録は14日程である。
又、アドリア海沿岸特有の強い北風(ブーラ)は都市を見下ろすスルジェ山によって防がれ、暖流の影響で起こる強い南風(ユーゴ)はドゥブロヴニクの向かいに位置するロクラム小島によって防がれておりこのような土地性とアドリア海沿岸の温暖な気候によりこの都市は同じ地中海性の気候地域であるギリシャアテネやスペインのバロセロナ、フランスのカンヌの気候と比べてみても冬でも夏でもこれらの地中海沿岸都市よりも温かく、快適な観光を楽しむことができる。
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ドゥブロヴニク共和国の名前が文書に現れるのは1189年の文書の中であり今日この文書が共和国を記した最古の記録とされている。1272年の文書の中には海外貿易や諸外国との政策、また共和国を統治するための法などと共にこの中世自由都市ドゥブロヴニク共和国の名を見ることができる。866年から867年にかけてドゥブロヴニク共和国はビザンチン帝国の影響を受け支配下に15カ月間陥った。また1205年から1358年の間には当時アドリア海沿岸地域に巨大な権力を誇っていたイタリアのベネチア王国の統治下におかれていた。ベネチア王国よりその後自由を獲得した共和国はクロアチアハンガリー王国(中世の時代は現在のクロアチア共和国ハンガリー共和国のもとにあった)にドゥブロヴニク共和国、ラグザ共和国という名を登記し自由都市として独立を果たした。トルコのオットーマン帝国がこの地域を治めていた時代にはこの小さな共和国は市街を取り巻く堅固な城塞によって守られていた。
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共和国内には1301年にすでに市民へ医療ケアが紹介され1347年には薬局が創業された。
薬局が創業された1347年には病院も建てられ1377年には世界初の検疫局が開かれた。
1434年には捨て子のための施設が創設され1436年には共和国の水道設備が整えられた。
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1667年にはこの共和国の大惨事でもある大地震が起き都市の建築物がほとんど全滅し、歴史を綴る多くの貴重な文書などが灰と化してしまった。
19世紀の初めにはフランスのナポレオンが率いる海軍の攻撃により再びドゥブロヴニク共和国は独立維持の危機に立たされ、一時的に統治下に陥ったが1808年1月31日に独立を果たした。
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ユーゴスラビア連邦共和国時代、特に第二次世界大戦中のファシストの強力な支配下のもとこの中世都市は難しい時代をすごさなければならなかった。しかしながらこの中世都市はこの土地に古くから伝えられている「自由は金で💰買える物でもないかけがえのない物である。」という中世自由都市の気風を持ち続けいつの時代も困難を乗り切ってきたゆるぎない歴史を持っている。また1991年、1992年には旧ユーゴスラビア連邦共和国で起きた紛争により都市では多くの紛争があり、隣国するモンテネグロユーゴスラビア連邦共和国とクロアチア共和国の兵士💂の間で市街では闘争が見られ多くの者がその命を落とした。
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このロビリィエナッツ砦は市街を全長37mの硬い岩によって守っている。この砦上からは12m先の外部からの侵入者を攻撃することができ、中世にはその威力を諸外国に誇っていた。

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このドゥブロヴニク市街の城塞で最も高いミンチェタ塔はルネサンス期に市街の地元職人やその時期最高の建築士や職人達の手によって14世紀から15世紀にかけて築き上げられ市街の有名な風景として現在も形を留めている。

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ピレ門。市街へ入る西の玄関口として14世紀から16世紀の間に築かれた。
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プラザは市街で最も有名な大通り。1667年に起きた大地震後より今日の姿を留めている。
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この大規模なオンファリオの大噴水は1438年にイタリア、ナポリの設計士によりドゥブロヴァチカ川を水源とし市街に水がもたらされるように設計された。
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市街の城塞に隣接して聖クララ修道院が14世紀の間にかけて建てられた。又、1434年には建物の一部が孤児院としても使われていた。
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ドゥブロヴニク市街の長い歴史を思わせる古い屋根瓦と緑で覆われているロクラム島

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ドゥブロヴニク市街特有の数多くある階段に続く細長い道
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ブローチェ門。この門は15世紀に市街へ入る東の玄関口として城塞に築かれたアシモン塔の上に築かれ外部からの市街への侵入を防いでいた。
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この旧市街の港はかつて世界の大海へ向けて船が出航していた。
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今日みることができるこのドゥブロヴニクの被昇天の聖母マリア大聖堂はイタリア、ウルビナの建築家により18世紀に築かれた。
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市街のドゥブロヴニク.ストゥラドゥンとオーランドの多角柱は忘れがたい風景の一つである。
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このゴシック.ルネサンス様式の建物は中世の時代にドゥブロヴニク共和国を治めていた統領のために15世紀に築かれた。
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ドゥブロヴニク共和国を治めていた統領の為の建物の出入り口部分と書斎
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このバロック様式の守護神聖ブラホ教会は1715年にイタリアの建築士によって建てられた。
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ラクルム小島
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ドゥブロヴニク市街を見下ろすスルジュ山にあるこの十字架はドゥブロヴニクの街、そこに住む人々の試練、プライドのシンボルである。

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ラパードに16世紀からあるルネサンス様式のペーター、ソルコチェビッチ城は夏の期間、テラスや庭園を備えた観光客用の豪華なレジデンスとなっている。
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🇭🇷クロアチアの旅(プリトヴィツェ湖)

昨日は回り道をしてスプリトに行ってしまったので、今日は一つの見所である「プリトヴィツェ湖」に行ってみましょう❗
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日本に居ては、ほとんど聞き慣れ無い湖だと思います。
私も初めて知りました。
プリトヴィツェ湖とその国立公園は一世紀以上にわたりクロアチアのみならず全ヨーロッパに知られています。湖はリカ地方の端にあり、ボスニアヘルツェゴビナとの国境近くに位置します。
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プリトヴィツェ湖はクロアチア、カルスト地層中の水流や地質形成現象が明らかになり、プリトヴィツェは石灰華形成という生機能活動の生きた実験室であるとされています。
石灰華は、湖と川の水が残す沈殿物によって形成される結晶性炭酸カルシウムです。1949年4月8日クロアチア共和国議会は、プリトヴィツェ湖を国立公園に指定しましたが、これはクロアチア初の国立公園です。
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湖はどのように形成されたか?
今まで何百万年にもわたって、最後の間氷期に、雨水がプリトヴィツェ湖一帯のカルスト地層を通って地下の石灰岩層に浸透しました。これらの雨水は、不浸透の粘土砂岩層にまで達し、そこから二つの泉となって地表に湧き出てきました。こんにちそれらは黒川および白川と呼ばれ、カルストの尽きることのない源泉になっています。水はまたいくつもの溝や峡谷や谷間にも流れ込みましたが、それらは現在でも見ることができます。
水中のある種の化学成分が岩石と溶けあってカルスト層地下の池に溜まり、有機変化を起こして様々な石灰華形成植物を生み出し、石灰華が沈殿して形成され、それらが堆積して湖水を堰き止めるまでに成長したとされます。倒木は谷間のあちこちを遮り、様々な石灰華形成植物を捕らえて、生機能的な成長がゆっくりと進み、分化が全体に始まったのです。
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温暖と寒冷が繰り返されるという好ましい気候がこれらの石灰華の堰堤に遮られて湖面積が広がり始めた為、水はそれを乗り越えて溢れ、硬い石灰華の新たな層を作り出して来たのです。
水域はいずれも過去数千年の間にその姿と大きさを変えてきましたが、それはこの渓谷全体の幅が変わったことと、地質が多孔質でなく横溝があったためです。地殻構造上の運動を含むこのような自然界の変化は、さまざまな滝を新たに作っては壊してきました。
それから石灰岩盤の中に新たな渓谷がいくつも出来、水が下層に浸透して、浸食作用が進みました。
このようにして、上湖群と下湖群の二つのグループの湖群が異なる高さにでき、さらに垂直の岩盤ができてそこをプリトヴィツェ川がサスタヴツィに流れ落ちるようになりました。
その下流がコラナ川の峡谷になります。コジャク湖の左岸は水を通さないドロミテ(白雲石)層であり、一方、右岸には水を通す脆い石灰沈殿層が広がっています。
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以下、冊子の写真をスキャナーしたものを掲載します。
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🇭🇷クロアチアの旅(スプリト)

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まず、普通に考えると首都「ザグレブ」から近くの内陸部側に位置する「プリトヴィツェ湖」に行くはずです。
彼女達もそうだったはずです。
プリトヴィツェ湖」を見てから旅の最終目的地「ドゥブロヴニク」に行く。
その途中に立ち寄る(一泊する)のがちょっとした観光地である「スプリト」です。
今日はこの「スプリト」について簡単に触れておきます。
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スプリトの市域人口は18万人。
ダルマチア海岸の町でビーチの他に中心部にある要塞のような建造物群である「ディオクレティアヌス宮殿」が有名。
この宮殿は4世紀に古代ローマディオクレティアヌス帝によって建てられたもの。
広大な遺跡には200以上の建物が残っている。
その白石の城壁の内部や中庭には大聖堂、店、バー、カフェ、ホテル、住宅がある。
聖ドムニウス大聖堂も有名。
3つ星🌟🌟🌟ホテル🏩の平均料金は6,600円程。5つ星ホテル🏨の平均料金が11,000円程だそうです。
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🇭🇷クロアチアの旅

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今日はクロアチアに入ります。
首都は「ザグレブ」で市地区人口80万人(2011年)
18世紀から19世紀にかけて栄えたオーストリア.ハンガリー帝国時代の建築が特徴。
中心部にある旧市街には二つの塔があるザグレブ大聖堂、カラータイルの紋章がある屋根で知られる13世紀建造の聖マルコ教会がある。
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複雑な歴史をもつクロアチアはイタリアやフランスといった西洋とは異なる雰囲気を持つ。
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クロアチアの物価は西ヨーロッパと比較すると安いけれども周辺諸国セルビアモンテネグロボスニアヘルツェゴビナ)と比較すると高く、中でも観光客に人気のある海岸部は高く設定されています。
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治安は問題ない。特段の注意はいらない。
1990年代の紛争により、ボスニア.ヘルツェゴビナとの国境沿いは地雷が埋められているエリアがある。
アドリア海沿岸と内陸部で気候が大きく異なる。沿岸部は年間を通して暖かい地中海性気候だが内陸部は冬になるとぐっと気温が下がる大陸性気候。
観光シーズンは夏、但し、物価も上がるので少しずらした5月、10月頃がいいかも⁉️
年間を通して日本より平均気温は低い。
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クロアチアEUに加盟しているものの、ユーロは使っていない。通貨はクーナという。
レートは2019年1月現在、1クーナ=16.82円、両替所で円を取り扱っている所もあるが、レートが悪い。💲ドルやユーロに替えてから両替した方が良い。
電圧は220vで50Hzの周波数、日本の家電を利用する場合は変圧器が必要。
クロアチアは地域により食文化が大きく異なる。海岸部だと生ハム、リゾットなどイタリアでもお馴染みの料理が並ぶ。
首都ザグレブに行くとオーストリア料理と同じようなカツレツが食べられるそうです🍀
ザグレブ近郊では「クレムシュニテ」というケーキ🍰も見逃せないそうです☺️
セルビア国境沿いにあるスラボニア地方ではハンガリー料理の影響が見られるそうです✨
又、チーズを使った料理が多いとか⁉️
「カルロバチコ」というビール🍺がおすすめらしいです!クリーミーな味わいだそうです👌

クロアチアの宗教はローマカトリック
お土産は種類が豊富で、小物やアクセサリー、工芸品からお菓子などの食べ物まで何でも揃う。あえて挙げるなら、食品ではワインやトリュフが有名。小物類ではサンゴのアクセサリーなどが有名。
クロアチアではチップを払う習慣は無い‼️
良かったね‼️
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アドリア海の真珠とアルプスの瞳の聞紀行録

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それは2005年の秋頃でした。
妻が友達と4人で🇭🇷クロアチアに行くと言い出しました。勿論、旅行会社によるツアーではありますが😅………………✨
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それまでは北欧の方に行くような事を言っていたのでしたが………………急にクロアチアになったので、ちょっと心配になった。
私の頭の中には1990年代にあの地域に紛争があって、今(2005年当時)もまだその影響が残っているのではないかと?…………………⁉️
大丈夫だというので、そのまま送り出す事にしました。女👩👩👩👩4人連れなので当然私が中に入るわけにもいかず、この旅行には行っていませんので、後に聞いたり、写真を見たり、現地で買って来た冊子(日本語版)を読んで、このブログを書いています。
題名の「アドリア海の真珠」とはクロアチアドゥブロヴニクで「アルプスの瞳」はスロベニアブレッド湖を指すものと想像しました。
ドゥブロヴニク
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ブレッド湖、小島、教会、
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クロアチア地域は旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国が1991年~1992年にかけて解体、紛争があった。現在分割して、スロベニアクロアチアボスニアヘルツェゴビナセルビアモンテネグロ北マケドニアコソボ、となっている。
行ったのはスロベニアクロアチアだそうです。8日間の旅となっていますが、航空機による往復日で2日取られ実質観光日程的には6日間となるでしょうね。
私には日程も行程もよくわかりません❗
先ず、クロアチアの首都「ザグレブ」に寄ってから市内見物等してから、スロベニアに行きブレッド湖の方に回ったようです。
スロベニアの首都は「リブリャナ」で人口は28万人(2016年)観光シーズンは春と夏で5月~9月半ばにかけてが一番美しいそうです。
ブレッド湖スロベニア北西部ユリアンアルプスに位置する氷河湖、リブリャナからは35kmの場所に位置する。
長さ、東西2,120m、幅、南北1380m、深い所で30.6m。
教会のある小島はブレッド島でプレトナボートに乗って渡る。
聖マリア教会で教会内部を見学するのに6ユーロの入場料が必要。教会を訪れる人々の最大の目的は「鳴らす🎵と願いが叶う」という伝説をもつ鐘、ロープを3回引いて3回きれいに鳴らすことができると願い事が叶うと言い伝えられている。
湖畔には城塞もあります。
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島の中には教会⛪だけでなく土産店、カフェ、レストラン等も有るそうです。